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ミドルエッジ「懐かしい! をお送りします」

プロ野球のキャンプ開始!で思い出される、巨人「地獄の伊東キャンプ」とは?

文・構成=ミドルエッジ
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※参考画像:『週刊ベースボール 2019年10/7号』 ベースボール・マガジン社(amazonより)

 あなたにとって「懐かしい」とはどんな情景でしょうか? 1970~90年代の「懐かしい」を集めたのが「ミドルエッジ」。あなたの記憶をくすぐる「懐かしい」から厳選した記事をお届けします。

 今回のテーマは、「地獄の伊東キャンプ」。2月1日より、プロ野球の各球団がキャンプインしますが、キャンプといえば今でも、40年前の第1次長嶋政権時に行われた巨人伝説の秋季キャンプを思い出す人もいるのではないでしょうか。今の時代では、「パワハラ」「しごき」などとのそしりを受けたかもしれない、このキャンプについて振り返っていきます。

参加したのは当時の若手有望株

 2019年9月21日、5年ぶり37回目のリーグ優勝を果たした読売巨人軍。投手・野手共に充実の陣容で「球界の盟主」としての威厳を示したシーズンとなりました。

 しかし、今から40年前の1979年シーズンにおける巨人はリーグ5位と低迷。V9時代の栄光を失っていました。そこで長嶋茂雄監督(当時)は、プロ野球史上43年ぶりとなる秋季キャンプの復活を決意。キャンプ地に選ばれたのは、ミスターが立教大学時代にキャンプで訪れたことのある静岡県・伊東市でした。

 この秋季キャンプに参加した選手は、総勢18名。野手では中畑清(当時25歳)、松本匡史(当時25歳)ら12名、投手では江川卓(当時24歳)、西本聖(当時23歳)ら6名と、若手有望株が集められました。王貞治(当時39歳)など、主力の高齢化が著しかった巨人にとって、若手の育成は喫緊の課題。長嶋監督の「巨人の将来を背負って立つ若手を徹底的に鍛えたい。血ヘドを吐かせるまでやらせる」という指示のもと、25日間に及ぶ過酷なキャンプが組まれたのです。

江川卓は「朝が来るのが怖かった」と証言

「地獄」と形容されるだけあって、その練習メニューは過酷を極めます。投手は1日最低10キロの走り込み&200球~300球の投げ込み、野手は1000スイング&2時間連続のノックがそれぞれ義務付けられました。

 そこから筋力を鍛える強化トレーニングで身体を酷使した後は、夕方恒例のランニング。使用されたのはクロスカントリーコース・馬場平でした。でこぼこしたコースと、頂上付近にある全長80メートル・傾斜30度の坂道が、選手の体力を容赦なく奪い取ったのはいうまでもありません。

 練習終了後には自力で立てなくなったり、風呂場で横になったりする選手が続出。疲労困憊のため食事ものどを通らず、中には水をかけて無理やり胃に流し込んでいた選手もいたと言います。当時について江川卓は「夜、目をつむった瞬間にすぐ朝になるから、怖くて寝られなかった」と振り返っています。

キャンプ参加者が活躍し、1981年にはリーグ優勝&日本一!

※参考画像:『地獄の伊東キャンプ 一九七九年の伝道師たち』大修館書店(amazonより)

 これほどハードなトレーニングであったものの、奇跡的に故障者はゼロ。当時の投手コーチが「人間の底力を感じた」と回想しているように、極限まで追い込まれた選手たちの研ぎ澄まされた集中力によって大きな負傷を回避できたという側面もあるのかもしれません。

 この「地獄の伊藤キャンプ」で鍛え抜かれた若手選手たちの活躍もあって、翌1980年は3位、続く1981年は優勝及び日本一に輝くなど、巨人はかつての栄光を取り戻すことに成功したのでした。

 この連載では次回以降も皆さまの脳裏に「懐かしい」が蘇りそうな記事を提供して参ります。「こんな記事は?」「あのネタは?」なんてお声も、ぜひお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。

(文・構成=ミドルエッジ)

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