
地域の医療機関の再編が世間の関心を集めている。
9月26日、厚労省は「再編統合について特に議論が必要」な病院として、424の病院の実名を挙げた。これは、市町村などが運営する公立病院と日本赤十字社などが経営する公的病院の約4分の1に相当する。再編統合を勧められた病院をもつ自治体は、一斉に反発した。県内の5病院がリストに挙がった富山県の石井隆一知事は、10月1日の記者会見で、「乱暴なやり方。形式的な物差しに当てはめるのはいかがなものか」と批判し、仁坂吉伸・和歌山県知事は「厚労省はやり過ぎだ。余計なお世話だと思う」と発言した。
これはもっともな指摘だろう。事前の相談もなく、厚労省が地域の病院の統廃合を決めるなど、常軌を逸している。厚労省も、このような批判は堪えたようだ。その後、「病院が将来担うべき役割や必要な規模の縮小、機能分化の方向性を機械的に決めるものではない」と弁明した。
ただ、これは方便にすぎないだろう。知事が批判をしたところで、厚労省の基本的な方向性は変わらない。なぜなら、厚労省は地域の病院を統廃合することで、医療費が抑制できるという前提に立っているからだ。このことはメディアも、そのまま報じており、この前提を疑問視する人はいない。
私は、厚労省の前提自体が間違っていると考えている。厚労省の議論で問題なのは、国民の医療費負担と病院が抱えるコストを区別していない点だ。国民医療費は患者数と診療単価のかけ算で決まる。国民医療費を減らすには、患者数を減らすか、単価を下げるしかない。患者数を減らすのは容易ではない。本来、疾病予防を強化し、病気を減らすべきだが、それは難しい。
厚労省がやってきたのは、健康保険からの免責だ。健康保険でリハビリができる日数を減らしたり、在宅医療推進という名目で長期の入院を減らしたりしてきたのは、その典型だ。厚労省は、有効性が証明されたすべての治療は国民皆保険でカバーしているという前提に立っているので、前者の場合では「リハビリは一定期間を超えて続けても効果がない」と主張し、後者の場合では「高齢者は病院ではなく住み慣れた自宅で闘病生活や終末期を送ることを希望している」と主張してきた。前者は医学的に適切でなく、後者は患者の価値観の問題で、一律に押しつけるべきでない。