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岡田正彦「歪められた現代医療のエビデンス:正しい健康法はこれだ!」

たった1人しかいない患者に効く薬は、なぜ創られたのか?「n=1研究」の複雑な議論

文=岡田正彦/新潟大学名誉教授
たった1人しかいない患者に効く薬は、なぜ創られたのか?「n=1研究」の複雑な議論の画像1
ボストン小児病院のHPより

 たった一人の患者のための新薬が完成?

 効果と安全性をどうやって検証するのか?

「たった1人の患者のために創った新薬が完成!」という興味津々の報道がありました。開発したのは、米国マサチューセッツ州にあるボストン小児病院の医師たちと小さな製薬会社です。

 患者は現在8歳の女の子ミラちゃんで、薬の名は「ミラーセン」です。同病院のホームページには、薬を開発したスタッフたちとならぶ、その子のスナップ写真も掲載されています【注1】。歌が大好きだったミラちゃんは、ある遺伝子が傷つくことによって起こる、きわめて珍しい病気「バッテン病」に侵されていました。

 この病気は、記憶が薄れ、目が見えなくなり、けいれんを繰り返えすようになり、やがて寿命もつきるというものです【注2】。1歳までに発症するケースが多いのですが、ミラちゃんの場合、3歳まで元気に育ち、4歳になったころから、さまざまな症状が現れ始めました。2017年1月、その子の存在をSNSで知った同病院のティモシー・ユー医師は、その子の母親に電話をかけ、血液サンプルを送ってもらうことにしました。

 遺伝病の研究をしていたユー医師たちは早速、遺伝子の解析に取り組みました。バッテン病を疑っていたのですが、過去に報告されている遺伝子異常の特徴はいくら探しても見つかりません。解析を進めるうち、DNAの並び方に奇妙な変化が生じていることに気づきました。

 ところでヒトのDNAでは、一部の遺伝子コードが別の部位に勝手に飛び移ってしまうという現象がまれに起こります。これは「飛び込み遺伝子jumping gene」と呼ばれ、ヒトの進化に役立っているのではないかとも考えられています。自然に発生する一種の「遺伝子組み換え」です。ミラちゃんの遺伝子には、この飛び込みが起こっていたのです。

 ユー医師の頭脳に、この飛び込み遺伝子に蓋をしてしまえばいいのではないか、というアイデアがひらめきました(図参照)。遺伝子コードの合成は、どんなものでも受注生産してくれる企業があり、アイデアさえ浮かべばあとは簡単です。蓋の役割を果たす遺伝子コードを合成すればいいだけなのです。

たった1人しかいない患者に効く薬は、なぜ創られたのか?「n=1研究」の複雑な議論の画像2

 医師たちは、これをバンドエイドのようなものだと説明しています。しかし、先立つものはお金です。新薬を創り、役所の認可を得るには莫大な費用がかかるのです。「クラウドファンディング」という言葉を日本でもよく耳にするようになりましたが、米国ではすでに専用のサイトがあります。ミラちゃんの母親は、当時、これを利用した募金活動をすでに始めていて、後日談によれば最終的に3億円もの資金が集まったのだそうです【注3】。

 新薬は、2017年の秋、ほぼ完成しました。ミラちゃんから採取した皮膚の細胞で実験したところ、見事にバンドエイドとして働くことも確認されました。

国の認可という壁

 最後の課題は、どうやって米国食品医薬品局(FDA)の認可を得るのかということでした。普通、新薬の製造販売を認可してもらうには、まず動物実験を行い、次に大勢の患者で新薬を試験した上で、効果と安全性を示したデータを提出しなければなりません。とくに患者の人数(n)が認可を得るうえで大切な要素で、n=1000を超えるような規模で試験がなされることもあります。しかし動物実験はかろうじてできたものの、患者はミラちゃん1人だけだったのです。

 それでも医師たちは、思い切ってFDAに新薬の認可を求める申請を行うことにしました。そして2018年1月、FDAは早々と認可を決めてくれました。ミラちゃんの治療はすぐ始められ、症状がみるみるうちに改善していった……と、19年10月発売の専門誌で報告されたのです【注4】。

 着目すべきは、なぜ前代未聞の申請が認可されたのかという点です。このように患者が1人しかいない状況は、「n=1研究」と呼ばれています【注5】。この問題については、複雑な過去の議論もありますので、次回に改めて考えてみることにします。
(文=岡田正彦/新潟大学名誉教授)

参考文献
【注1】Fliesler N, Shooting for the moon: from diagnosis to custom drug, in one year. Boston Children’s Hospital, 2019, on line.
【注2】Batten disease fact sheet. NIH Aug 13, 22: 02, 2019, on line.
【注3】Kolata G, Scientists designed a drug for just one patient. her name is Mila. New York Times, Oct. 9, 2019
【注4】Kim J, et al., Patient-customized oligonucleotide therapy for a rare genetic disease. N Engl J Med 381: 1644-1652, 2019.
【注5】Lillie EO, et al., The n-of-1 clinical trial: the ultimate strategy for individualizing medicine? Per Med 8: 161-173, 2011.

岡田正彦/新潟大学名誉教授

岡田正彦/新潟大学名誉教授

医学博士。現・水野介護老人保健施設長。1946年京都府に生まれる。1972年新潟大学医学部卒業、1990年より同大学医学部教授。1981年新潟日報文化賞、2001年臨床病理学研究振興基金「小酒井望賞」を受賞。専門は予防医療学、長寿科学。『人はなぜ太るのか-肥満を科学する』(岩波新書)など著書多数。


岡田正彦

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