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江川紹子の「事件ウオッチ」第143回

「不正義と政治的な迫害」からの逃亡を主張するゴーンに共感できない理由…江川紹子の考察

文=江川紹子/ジャーナリスト
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カルロス・ゴーン氏(写真:ロイター/アフロ)

 特別背任や金融商品取引法違反で起訴されていた日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告が、昨年末に日本から逃亡した。

「私はレバノンにいる」という彼のメッセージが世界を駆け巡ったのは、日本の大晦日。以降、「楽団のふりをした者たちが、楽器のケースに隠して自宅から運び出した」「キャロル夫人が計画した」「アメリカの動画配信最大手、ネットフリックスと独占契約を結んだ」……などさまざまな情報が報じられては、それを否定する情報が後を追う事態となった。日本のメディアは、海外で報じられた情報を「○○はこう伝えた」と引用する形で伝えることも多く、海外情報に振り回された観がある。

沈黙を続けた日本当局

 海外の当局も、それぞれの立場を積極的に発信した。フランスはすぐに関与を否定する外務省コメントを発表し、レバノンはゴーン氏がフランスのパスポートで合法的に入国したと明らかにした。経由地となったトルコでは、自社のプライベートジェットが逃亡のために違法に使われた、とする航空会社が刑事告訴を発表。同国の治安当局は、ゴーン氏を運んだと見られるパイロットら5人を逮捕した。

 ところが日本政府は、法務大臣の見解すら発表せず、沈黙が続いた。その間、森雅子法相はSNSで自身の和装姿をアップしたり、自分の活動についてのPRメッセージは発信していた。世界中に情報が飛び交っているこういう出来事で、タイミングよく効果的に情報を発信しなければ、国際世論を味方につけることはできないのではないか。

 ようやく5日になって、東京地検が斎藤隆博次席検事名で公式コメントを発表。「正規の手続を経ないで出国し、逃亡したことは、我が国の司法手続きを殊更に無視したものであるとともに、犯罪に当たり得る行為であって、誠に遺憾」などとし、違法な密出国の可能性が高いとの認識を、当局として初めて明らかにした。

 森法相も同日中にコメントを発し、「ゴーン被告人が日本を出国した旨の記録がないことが判明しており、何らかの不正な手段を用いて不法に出国したものと考えられ、このような事態に至ったことは誠に遺憾である」と述べた。ただ、コメント文をメディアに配布するだけでは、メッセージとしてはあまりにインパクトに欠ける。法相として記者会見を行い、自らの顔を出して見解を述べ、質疑にも応じるべきだったろう。

 いずれにしても、ゴーン氏逃亡の事実が明らかになって6日間が経過し、日本政府はやっと違法な密出国があったことを認めた。

 保釈を巡って、弁護人が「知恵を絞って逃亡や証拠隠滅があり得ないシステムを提示した」と自信を示したのも、それに応じて東京地裁が保釈の決定を出したのも、空港では厳しいチェックが行われているはずだという、出入国管理体制への信頼があったればこそだろう。ところがそこには、大きな穴が開いていた。

 報道によれば、ゴーン氏は昨年12月29日午後2時半頃、東京都港区の自宅から1人で出かけたことが、監視カメラ映像で確認されている(その後、どのように移動したのかは、これを書いている1月5日現在では明らかにされていない)。そして、29日午後11時過ぎに関西空港を飛び立ったプライベートジェットに、スピーカーなどの音響機械を入れる大型のケースが積み込まれ、その中にゴーン氏が潜み、荷物と化して日本を脱出した、とみられる。

 プライベートジェットの場合、乗客が爆発物を持ち込む可能性が低く、テロ防止のための保安検査は不特定多数の乗客が乗る一般の航空機より緩い、と指摘されている。そのうえ、今回は持ち込まれたケースが大きいためにX線検査の機械を通せず、同検査は行っていなかった、とも報じられた。

 では、係員の肉眼によるチェックも行われなかったのだろうか。あるいは、それだけの大荷物を機内に運び入れるに際して、税関の検査はなかったのだろうか。疑問は募るばかりだ。こうした問題について、当局はきちんと調査し、国民に説明する責任がある。

 実は空港でのチェックは、人の出入国の管理は法務省、保安検査の所管は国土交通省、さらに税関検査を担うのは財務省など、担当省庁がいくつにも分かれている。今回のケースではどこに問題があったのか、どうすれば防げたか、省庁横断的に検証し、再発防止のための対策を早急に立てる必要があろう。森法相は出国時の手続き厳格化を現場に指示したとするが、法務省だけの問題ではないのだ。

 このままでは、プライベートジェットを利用して、輸出入が禁止されたり制限されたりしている物の輸送や、輸出入に伴う税金を免れる脱税行為を許し、資金豊富な国際的犯罪集団が人を国外に拉致することすら可能なのではないか、という懸念が生まれる。オリンピックイヤーにこの状況で、大丈夫なのだろうか。

日本の司法を全否定したゴーン氏の逃亡

 ところでゴーン氏は、レバノン到着後のメッセージで、日本の司法を非難したうえで、次のように主張した。

「私は正義から逃げたわけではない。不正義と政治的な迫害から逃れたのだ。やっと、メディアと自由にコミュニケーションを取ることができる」

 日本の司法がさまざまな問題を抱えていることは事実だ。否認をすれば、長期の身柄拘束が続く人質司法。裁判では有罪率が99%を超え、被告人が無罪を主張しても、裁判所が有罪ありきの姿勢で臨んだり、時にはあからさまな検察側への肩入れすら見られる。

 ゴーン氏の場合は、3回目の請求で保釈を認められたが、保釈条件に、検察が事件への関与を指摘している妻との接触禁止が含まれていた。妻との接触を禁じても、他の家族を通じて要件は伝達できるわけで、罪証隠滅や逃走の防止という観点では、こうした制限はあまり意味があるとは思えない(逃走防止にはなんの役にも立たなかったことが、証明されてしまった)。妻との接触については人道的に批判もあり、実際、異国で被告人という立場に置かれたゴーン氏にとっては、非常にこたえたようだ。これが逃走への決意を高めた可能性もある。

 こうしたことから、ゴーン氏の逃走に共感を示す人もいる。1月4日付朝日新聞デジタルは、フランスでは日本の司法システムを批判する論調が支配的で、新聞のアンケートに「ゴーン氏が日本から逃げ出したのは正しかった」とする回答が77%もあった、と伝えている。日本でも、ゴーン氏の行動に理解を示す声もある。

 しかし、私はこれに同調できない。

 理想論かもしれないが、司法は公平さが命だ。彼は大富豪だからこそ、金の力によって違法な手段を用い、司法の手続きから逃れることができた。これには、とてもではないが共感できない。

 それに、日本の裁判が人権を守った判断も、いくつも見てきた。特捜検察が扱った事件においても、バブル時代の金融機関の経営陣の不正が問われた長銀事件や日債銀事件、クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件、大阪地検特捜部が起訴した郵便不正事件、名古屋地検特捜部が扱った名古屋市道路清掃談合事件などで、無罪判決が確定している。問題は山ほどあり、それを厳しく批判するのは大事だが、司法をまるごと否定することに、私は抵抗がある。

 ゴーン氏は、これまで無罪判決をいくつも獲得してきた極めて優秀な弁護士を何人も雇い、弁護団は彼のために裁判の準備を進めていた。これも、金の力、といえるかもしれないが、こうした弁護団による法廷活動は、日本の刑事司法をよい方向へ変えていく力にもなる、という期待があった。

 その弁護団の1人で、刑事弁護のエキスパートである高野隆弁護士は、ブログの中で裁判の公正さに疑問を持つゴーン氏に対し、その懸念を認めつつ、次のように告げた、と書いている。

「無罪判決の可能性は大いにある。私が扱ったどの事件と比較しても、この事件の有罪の証拠は薄い。検察が無理して訴追したことは明らかだ。われわれは他の弁護士の何倍もの数の無罪判決を獲得している。弘中さんも河津さんも、著名なホワイト・カラー・クライムの裁判で無罪を獲得している。だからわれわれを信頼してほしい。必ず結果を出してみせる」

 だが、被告人がいなければ裁判は開けない。無罪判決の可能性は失われた。これまで弁護人たちが費やしてきた努力も無駄になった。そればかりか、今回の逃走について弁護人らの責任を問う論調まで出て、彼らは窮地に立たされている。ゴーン氏は日本を出てから1週間、アメリカの広報担当者などを通じて、メディアなどへのメッセージ発信はあっても、弁護団にはなんの連絡もないようだ。

 またゴーン氏は、自分が違法な手段で逃走するだけでなく、そのために他の人を犯罪に巻き込んだ可能性がある。おそらくは多額の報酬を得て主体的に計画や実行に及んだ者はともかく、巻き添えになった人もいるのではないか。実際、トルコではパイロットら5人が逮捕された。その中には、「協力しなければ子どもや妻に危害を加える」と脅された、と供述している者がいる、と報じられている。日本でも協力者がいれば、犯人隠避罪に問われよう。

 彼が言う「政治的な迫害」というのも、何を意味しているのかよくわからない。彼は日本でメディアとの接触を禁じられていたわけでもない。昨年6月28日には、海外特派員協会で弁護人とともに記者会見が設定されていた。ところが、「彼の家族とそのメディア・アドバイザー」が会見に反対したため、ゴーン氏自身が会見中止を判断した。

 4月にも開かれるはずだった裁判は公開の法廷で行われ、通訳がつけられ、外国メディアのために複数の記者席が用意されただろう。裁判所に不公正な訴訟指揮があったり、通訳の質が悪かったり、検察の捜査に違法が発覚したりすれば、一斉に国際社会に発信される状況にあった。

 ゴーン氏がおかれた状況は、北朝鮮や中国でまさに「政治的な迫害」によって囚われの身となっている人たちが陥っている状況とはまったく違う。ゴーン氏は、欧米の人たちにとっては北朝鮮や中国に拘束されている人と同じであるかのように言う人がいるが、そういう比喩は、真に「政治的な迫害」に苦しむ人たちの過酷な状況を、ひどく薄めるものでもあるとも思う。

「人質司法」の解消を後退させないために

 何より心配なのは、今回の彼の行動が、日本の刑事司法にマイナスの影響を及ぼしかねない、という点だ。とりわけ、検察側が強く身柄拘束を求めた場合、裁判所が勾留や保釈の判断で、今まで以上に検察側の意見を尊重する事態が懸念される。一部メディアでは、「保釈を認めたのが誤りだ」などとして、裁判所の判断を批判したり、弁護人の責任を求めるなど、そうした方向に世論を誘導する論調も出ている。

 否認していると長期間身柄を拘束される「人質司法」は、冤罪の原因のひとつであり、深刻な人権侵害にもなってきた。郵便不正事件や志布志事件など、これまでの多くの事件でその弊害は明らかになっている。今回の逃走劇によって、人質司法の問題を軽視し、身柄拘束を巡る状況を後退させるようなことがあってはならない。

 そのためにも、保釈を巡る条件については、多角的に検証する必要はあるだろう。たとえば、ゴーン氏の弁護人は、2回目(現弁護団となってからは最初)の保釈請求の際、保釈条件のひとつにGPS装置の装着を提案したことがあった。この時には保釈は認められていない。3回目の請求の際には、弁護団は自宅の出入り口に監視カメラをつけることを提案。この請求で保釈が認められたために、ゴーン氏にGPS装置の装着はなされていない。

 参考になるのは、米国の要請でカナダ・バンクーバーの空港で身柄を拘束された中国の通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)の最高財務責任者・孟晩舟氏のケースではないか。彼女は保釈される際、多額の保証金のほか、警備会社による24時間の監視、夜11時から翌朝6時までの外出禁止、パスポートの提出、GPS装置の装着を義務づけられた。その後、裁判所への出頭の際にも、足首にGPS装置をつけた姿で現れた。彼女も、国際的に飛び回るビジネス・パーソンであり、逃走防止と人権擁護の兼ね合いで、このような厳しい保釈条件になったのだろう。

 ゴーン氏の逃走は、GPS装置をつけていれば防げたとは限らないが、当局がその動きを常時監視していれば、東京から関西に移動する際に、異常に気づけたかもしれない。監視のコストや、GPSの常時装着の人道上の問題については考える必要があるだろうが、逃走者の追跡には役に立つだろうし、これで身柄拘束の弊害が減るのであれば、逃亡のおそれが高いケースでは導入を検討してもいいのではないか。

 パスポートの管理についても検証が必要だろう。ゴーン氏はレバノン入国の際にフランスのパスポートを使用したようだ。保釈当初は、すべてのパスポートを弁護人に預けるよう義務づけられていたが、その後、2冊持っているフランスのパスポートの1つを、鍵付きケースに入れて携帯することを裁判所から許可されていた。入管法で、外国人はパスポートや在留カードなどを常に携帯し、官憲からの求めがあった時には提示することを義務づけているからだ。

 これについては、刑事被告人で出国を禁じられている者にその旨の在留許可書を発行すれば、パスポート携帯を許可する必然性がなくなり、国外逃亡のリスクは減らせる。

 こうした点をひとつひとつ検討し、人質司法の解消を前提に、どうしたら逃亡によって司法手続きが妨げられるリスクを減らせるか議論する。そうやって人権擁護と逃亡リスク低減という、2つの異なる要請の調和を図っていくしかないと思う。

(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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