
「虐待」と聞くと、世間を騒がせる凄惨な事件を思い浮かべる人が多いかもしれない。親が幼い子どもに暴行や暴言を浴びせ、時には命まで奪うような行為を「虐待」と呼ぶことが多いが、世の中には表沙汰になっていないタイプの虐待もある。そのひとつが“教育虐待”だ。
教育虐待の定義やその実態について、『ルポ教育虐待 毒親と追いつめられる子どもたち』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の著者で育児・教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏に話を聞いた。
かつての“教育ママ”から複雑化する構造
「教育虐待とは、『あなたのため』という大義名分を掲げて親が子に行う“いきすぎた”教育や躾のこと。2012年8月23日付の毎日新聞の記事では『子どもの受忍限度を超えて勉強をさせるのは<教育虐待>』と定義されています。近年、メディアでも取り上げられるようになりました」(おおた氏)
教育虐待という言葉そのものは耳新しいものの、「教育虐待と似たような事象は昔からあった」とおおた氏。確かに「スパルタ教育」「教育ママ」など、我が子の教育に熱心すぎる親を揶揄した表現は以前から存在している。
「事象は似ていますが、近年は虐待の構造が複雑化しています。たとえば、高度成長期の『教育ママ』は子どもを有名大学に入れて“高学歴”というパッケージ商品が得られれば満足できました。しかし、学歴が役に立たないといわれる現代は『勉強ができるのは当たり前。だから、勉強ができるだけじゃダメ』と、英語やプログラミング、プレゼンテーションなどをオプションとして学ばせる親も増えています。その分、子どもたちの負担が重くなり、結果的に子どもの受忍限度を超えてしまい、教育虐待となってしまうのです」(同)
そのほか、子どもへの過干渉や、子どもの成績が思うようにならないときに罵声や暴力を浴びせる行為も教育虐待にあたる。おおた氏は著書を執筆する際、有識者はもちろん、教育虐待の被害者や加害者にも話を聞いたという。
「ある女性は、母親から生活のほとんどを制限されて、毎日2時間のピアノの練習と夕食直後から4時間の勉強を課せられていました。勉強は予定の量をこなせなければ夜中まで続き、友達との交換日記が母に見つかったときは『勉強以外のことをするな』と怒鳴られ、叩かれ、その後1カ月間無視されたこともあるといいます。また、日常的に『どうせあんたはダメよ』という母親の口癖を耳にしながら育ち、中学生の頃には自殺も考えたそうです」(同)
母の言葉を真に受けた幼い少女は「自分は人一倍努力しないといけない人間なんだ」と思い込んでいたという。そして、教育虐待の呪縛は成長して独立した後も、子どもを苦しめ続ける。
「前出の彼女は、就職を機に実家を出て充実した日々を送っていました。しかし、結婚を機に退職、引っ越しなどで環境が変化すると、常にいらだち、温厚な夫に対してささいなことで激しい怒りを感じるように。母親に殴られたことや罵倒された過去がフラッシュバックし、幼い自分が助けを求めて迫ってくるイメージが見えるようになったそうです」(同)
彼女は夫のすすめで心理カウンセリングを受けることになり、カウンセリングを通して自分の過去や母親と向き合い、「母親を手放す」ことができたという。
『ルポ教育虐待 毒親と追いつめられる⼦どもたち』 「教育虐待」とは、「あなたのため」という大義名分のもとに親が子に行ういきすぎた「しつけ」や「教育」のこと。どこまでの厳しさは許されてどこからが教育虐待なのか、教育虐待を受けて育つとどうなるのか……。気鋭の教育ジャーナリストが壮絶な現場に迫りその闇を照らす「救済の書」。
