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南清貴「すぐにできる、正しい食、間違った食」

電車の優先席に座る若者、“非常識”ではなく“骨盤の開閉に問題”が原因?

文=南清貴/フードプロデューサー、一般社団法人日本オーガニックレストラン協会代表理事
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若者の体力低下は学校教育の「体育」に問題

 体力も同じように低下傾向にあるのですが、そこには根本的な間違いがあると、筆者は睨んでいます。それは体育とスポーツを混同している、という間違いです。学校教育のなかの体育という授業は、スポーツのスペシャリストを養成するためのものではないはずです。子供たちのなかでアスリートになるのは、ごくわずかであるのにもかかわらず、体育の授業ではさまざまなスポーツに取り組ませようとします。

 筆者は、そんなことをする前にやるべきことがあるだろう、と主張したいのです。まずは総合的な体力をつける、体を鍛えることをすべきです。その考えの下に、いろいろなスポーツ競技を活用する、というのであればわからないでもないのですが、実際に学校教育のなかで行われているのは競争です。競技に勝つことが最優先されていて、体を育てる、体を鍛えるということに重きを置いているとは、とても思えません。

 学力低下の原因も、入学試験に合格することがゴールになってしまっているため、何かを憶えることが先行して、じっくり考えるということが蔑ろにされています。競争することが悪いことだと言う気などさらさらありませんが、競争がすべて、勝つことが目的というのは、明らかに生き方として間違っていると筆者は思っています。昨年引退した大相撲の嘉風関は、こう言いました。

「勝つことが目的なのではない。いい相撲を取ることが目的なのだ。その結果、勝てればなおいい」

 嘉風関が周囲から尊敬され、長く現役を続けられた秘訣は、ここにあるのだと筆者は思います。

 いつの時代であっても、教育に完璧などということがあろうはずはありませんが、いくらなんでも今、行われている学校教育が十分なものとは、到底考えられません。教育の無償化や、学力強化のために学習塾に通わせるのも結構ですが、問題は教育者の質が低下していることではないでしょうか。学校の先生が置かれている環境は、単純に労働条件という観点からしても優良とはいえません。給料もそれほど良いとは言い難く、優秀な人が先生になる確率は低くなります。もちろん、優秀な、素晴らしい先生もいることは百も承知ですが、全体としては、そういうことになります。

 今、先生として活躍している優秀な方は、何か強い使命感みたいなものを感じて、がんばっていらっしゃるのだと思います。しかしそれは、そのまま続くわけではないのです。したがって、このままの状況が続けば、子供たちの体力、学力はともに落ち続けていくことでしょう。筆者が憂慮するのは、子供たちの教育自体が、ビジネスの対象になってしまっていて、そこには本来あるべき教育者の質や、もっと大事な子供たちの個性を生かし伸ばす、という視点が欠けていることです。

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