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片山修「ずだぶくろ経営論」

マツダSKYACTIV-X、世界震撼のガソリンエンジン性能向上達成への10年間の戦い

文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家
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SKYACTIV-Xエンジン生産ライン

 探究心旺盛な技術者には、「ほったらかし」状態は一見、自由気ままな開発環境にも思われるが、無視されるも同然の状況だった。モチベーションを持ちようもなく、彼は広島駅近くの繁華街の“流川”で飲んだくれた。

「ほったらかし」の背景には、マツダの経営環境があった。バブル崩壊で経営が悪化し、巨額の赤字を抱えたマツダは、倒産の危機に瀕し、米フォードの傘下に入った。売れ行きに直結しない先行開発部門の予算は、真っ先に削減された。先行開発部隊の多くのエンジニアが、フォードとのエンジンの共同開発の仕事に引っ張られていった。しかし、人見はその後も、エンジンそのものの性能向上の追求を続けた。たとえ陽の当たらない仕事であっても、技術を信じて黙々と研究に明け暮れる。

 人見が熱心に取り組んだのは、吸排気系統の可変制御だ。エンジンの筒内に入る空気量を制御したときの性能変化を調べる地味な研究である。吸排気に関わる研究成果は、のちにマツダの各種エンジンのトルクの向上に貢献する。

「ほったらかし」だった社員が「出る杭」となり、“ミスター・エンジン”と呼ばれるまでの存在にのしあがるのは、彼が50代になってからだ。人間万事塞翁が馬とはいえ、雌伏期間はあまりにも長かった。典型的な大器晩成型にしても、30年近い雌伏期間はいかにも長すぎる。

高圧縮化エンジンをつぶそうとするフォードに反発

 トヨタが環境対応車としてハイブリッド車を推進したのに対して、フォード本体はその頃、ダウンサイジングエンジンに取り組んでいた。マツダに対しても、ダウンサイジングエンジンを推奨し、グループ共通のエンジン開発をと望んでいた。人見は、次のように述べる。

「フォードは、マツダに対して次の世代のエンジンも、一緒のダウンサイジングエンジンを使うべきだと思っていたようです」

 フォードにしてみれば、世の中の主流から外れている人見の開発方針は、許容できるものではなかった。あの手この手でつぶしにかかった。

「フォードからは、双方が開発しているエンジンを機能面、コスト面で比較するようにという指示が出されました。そんな比較は意味がないと思った。だいたい、技術者にそんなことを言っても、自分の技術のほうが優れているというに決まっています。だから、面倒くさくてね。めちゃくちゃ嫌でしたよ。徒労感ばかりが募りました」

 こう彼は語る。フォードは、定期的に開発に関するレビューにやってきた。

「まったく馬鹿げている」――。

 レビューに訪れたフォードのエンジニアが、人見の高圧縮化エンジンについて、そういっていたと、人見は人づてに聞いた。「馬鹿げているなんて、よく言うわ」と、人見はとりあわなかった。

「失敗しても、もう助けられない」

 当時の社長、井巻久一は、フォードの上層部から釘を刺された。大株主のフォードの意向を無視したかたちで開発を進めることに、マツダの社内からも異論があがった。

「人見のやることにつきあっていても、失敗するに決まっている」「早く、過給ダウンサイジングエンジンに取り組んだほうがいい」――などと、陰口が聞かれた。四面楚歌だった。

「燃費が全然出ない時期があって、そのときは苦しいと思いましたね」

 しかし、人見は研究をやめようとは一度たりとも思わなかった。彼の風貌は、およそ神経質な技術者タイプとは正反対だ。村夫子然とした印象だ。おっとりしている。喋り方も、威圧的なところはまったくない。ただ、彼のエンジニアとしての性根の座り方は、尋常ではなかった。

「世間と同じことをやっていたら、最初は勝てても、すぐに追いつかれて負けるに決まっている。そうなったら、わずかずつの競争をずっと続けることになります」

 そちらのほうがよっぽど苦しい、と人見は考える。彼は、「答えは必ずある」――という信念の持ち主だ。どんな困難な課題であっても、こねまわして得意の分野に引っ張り込めば、「答えは必ずある」――という。

「理屈の裏付けがあったのでいけるだろうとは思っていたのですが、それに加えて、優秀な技術者たちが、僕のいうことを『信じてやります』といってくれた。彼らがいる限り、大丈夫だと思った」

 彼は、部下からの信頼が厚かった。当時、パワートレイン技術開発部の工藤秀俊(現執行役員、R&D管理・商品戦略・技術研究所担当)は、そんな一人だった。工藤もまた、人見と同様、エンジン開発一筋に歩み、人見の高圧縮化エンジンの開発を支えた。人見は、組織のために動くというより、黙々と研究開発に勤しむタイプだ。一心不乱に開発に没頭するあまり、ほかのことが目に入らなくなることもあった。工藤は、そんな人見が思う存分、仕事に集中できるように徹底的に気を配った。コストと納期の管理は、工藤の役目だった。

「人見さんは、高い目標を掲げて、突き進んでいくわけです。でも、会社ですから、納期もあるし、予算もある。だから、誰かが見ていなければいけないし、ときには、厳しいこともいわなければならなかった」と、工藤は振り返る。人見は、あの人のためなら一肌脱ごうと思わせる人間的魅力をタップリと備えていた。

「サステイナブル“Zoom‐Zoom”宣言」

 2000年代に入ると、クルマのつくり方は大きな変革期を迎えた。各メーカーは、車両を構成するモジュールを組み合わせてシンプルに設計する仕組みの再構築に乗り出した。2010年代に入ると、独フォルクスワーゲンが「MQB(モジュラー・トランスバース・マトリックス)」、ルノー日産が「CMF(コモン・モジュール・ファミリー)」を発表した。

 2000年代に親会社のフォードが進めていたのは、プラットフォームや部品の共通化だった。しかし、マツダはフォードと一緒にプラットフォームの共通化を進める中で、それには大きな問題があることに気づき、マツダの規模で考えたときにもっとも効率的な道を歩むようになる。繰り返しになるが、当時、年間生産台数120万台に過ぎなかったマツダが、大手自動車メーカーと同じことをしていたのでは、競争を勝ち抜けないからだ。

 フォードはそのころ、ボルボやジャガー、レンジローバーなどを傘下におさめていた。同じセグメントのクルマのプラットフォームや部品を共通化し、ボディーのデザインや装備でブランドの個性を出す戦略をフォードはとっていた。確かに、フォードのプラットフォームを使えば、開発費を抑えられるかもしれない。ところが、マツダの規模では、単一車種でラインをフル稼働させられないし、部品の共通化のメリットも享受できない。それに、部品を共通化してしまっては、マツダの個性が出しづらくなる。

「一機種を大量生産する大手メーカーに対して、われわれのような多品種少量生産を目指す会社は、工夫せざるを得ないわけですよ」と、人見は言う。

 マツダは07年、“走る歓び”と“優れた安全性能”を二本柱とした技術開発の長期ビジョン「サステイナブル“Zoom‐Zoom”宣言」を発表した。その具体的な取り組みとして、前年の06年、大幅な機能改善を目指して、スカイアクティブすなわち新規エンジンやトランスミッションの開発を始めた。

 前代未聞のチャレンジだった。マツダは2015年までに、生産する乗用車の平均燃費をこれまでの比較で30パーセント向上させる方針を発表した。その課題を克服するための手段として、エンジンの燃焼性能そのものの向上を目指した。

 新しいエンジン開発を主導したのは、人見だ。ついに出番がきたのである。人見は52歳だった。定年まで7年しか残っていなかった。大勢の商品開発の社員が、先行開発部に集結した。当初、先行開発部隊は30人にすぎなかったが、次第に人員は増加された。といっても、100人に満たなかった。

「車両側がコモンアーキテクチャーだ、モノづくり革新だと言っている。じゃあ、肝心のエンジンはどうあるべきかを考えようと本格的に取り組み始めたんです」と、人見はいう。

 さらに、マツダは新機軸を打ち出した。理想の骨格を追求する「コモンアーキテクチャー構想」と、理想の工程を追求する「フレキシブル生産構想」を両立させるため、「一括企画」なる新たな開発方針を打ち出したのである。

 一括企画は、セグメントを越えて、およそ5年分の新車投入をひとくくりにして、クルマ全体や部品を企画する手法だ。車種間で構造や特性に共通性を持たせるのが特徴である。結果、開発や生産の効率が上がり、新たな技術や部品によるコスト増加を吸収できるメリットがある。

(文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家)

※後編に続く

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