ビジネスジャーナル > 社会ニュース > 江川紹子が語るゴーン被告逃亡事件
NEW
江川紹子の「事件ウオッチ」第145回

江川紹子が検証する【ゴーン被告逃亡事件】ー“人質司法”だけではない、刑事司法の問題点

文=江川紹子/ジャーナリスト
江川紹子が検証する【ゴーン被告逃亡事件】ー人質司法だけではない、刑事司法の問題点の画像1
カルロス・ゴーン氏(写真:ロイター/アフロ)

 日産前会長のカルロス・ゴーン被告が逃亡した事件で東京地検は、日本から不正に出国したとして同被告について出入国管理法違反の疑いで、また、逃亡を手助けしたとみられる米陸軍特殊部隊グリーンベレーの元隊員ら外国籍の男3人については同法違反幇助と犯人隠避の疑いで、それぞれ逮捕状を取った。

被告人の「迅速な裁判を受ける権利」が守られていない

 男3人はいずれもアメリカ国籍を持っており、日本はアメリカとの間では犯罪人引き渡し条約を結んでいる。今回の逃亡事件は、出入国管理という国家の主権を侵したものであると同時に、同条約に明記されている「司法作用の妨害に関する罪」でもある。

 この3人の引き渡しが実現しなければ、なんのための条約かわからない。日本政府は、必ずや3人の引き渡しを実現させてもらいたい。そして、捜査と裁判によって、逃亡劇の真相を解明し、それに基づいて出入国管理体制の改善につなげることが大切だ。

 あわせて、今回の逃亡がなぜ起きてしまったのかを、さまざまな観点で検証していくことも必要だろう。

 ゴーン被告の記者会見などで、海外メディアでは、日本の刑事司法の問題が指摘されている。特に、長期間の身柄拘束による「人質司法」や有罪率の高さなどが注目され、批判の対象になっている。一方、日本の法務省や東京地検は、記者会見などでそれへの反論を試みている。

 人質司法などは日本の司法の問題点として、大いに議論しなければならないことはいうまでもないが、本件との関連でいえば、それよりはるかに重要なのは、被告人の「迅速な裁判を受ける権利」が守られていないことだ、と思う。

 日本国憲法は、第37条で次のように明記している。

〈すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する〉

 ところが……。

 ゴーン被告の弁護人を務めた高野隆弁護士によると、弁護団は迅速に裁判を進めるために、「連日開廷」を裁判所に求め、せめて「1週間に3日」の開廷をするよう譲歩したものの、裁判所は「2週間に3日」しか公判期日を入れようとしなかった。ゴーン氏の報酬に関する有価証券報告書への不記載が問題視された金融商品取引法違反の事件は4月にも裁判が始まると見られていたが、弁護団は、2つの会社法違反(特別背任)の事件についての審理も、9月には開始するよう提案していた。ところが検察側の反対があり、裁判所は認めなかった、という。

「特別背任の事件は、検察が起訴した時点では、日産関係者の伝聞証拠しかなく、(日産の)資金をゴーンさんに環流させた裏付け証拠は何ひとつなかった。検察は、起訴した後に、公判前整理手続きをゆっくりやりながら、捜査共助によってオマーンやサウジアラビアの関係者の供述を集めた。検察の時間稼ぎのために、被告人の迅速な裁判を受ける権利が損なわれている」と高野弁護士は憤る。

「彼は65歳だ。裁判がいつ始まるかわからない。いつになったら妻と会えるのかもわからない。裁判がいつ終わるのかもわからない。そういう状況に絶望したんだろう。それが(逃亡の)最大の原因だと思う」

 保釈中のゴーン被告のインタビューを行い、逃亡後にもテレビ電話で話を聞いた郷原信郎弁護士も、彼が「9月に始まると思っていた特別背任の審理が、検察の要求で来年以降に伸びると聞いて絶望的な気持ちになった」と逃亡の理由を語るのを聞いた、という。

 裁判の迅速化は、以前から日本の司法の課題のひとつだった。司法改革のなか、2003(平成15)年に裁判迅速化法が制定され、翌年、裁判員裁判導入が決まった際には刑事訴訟法の改正で、次のような条文が加えられた。

〈裁判所は、審理に二日以上を要する事件については、できる限り、連日開廷し、継続して審理を行わなければならない〉(同法第281条の6)

 この時の国会で野沢太三法務大臣(当時)は、「(裁判員裁判だけでなく)刑事事件一般について連日公判を開かなければならないことが原則となります」と答弁している。「できる限り」という留保がついてはいるが、「原則」は「連日」だ。被告人が「迅速な裁判」を求めている場合は、なおさらこの原則にこだわるべきだろう。

 連日開廷を実現可能にするために、事前に争点や証拠を絞り込む公判前整理手続の制度を導入したのだ。ゴーン被告の裁判でも、公判前整理手続きが行われている。

 にもかかわらず、「連日」どころか「週に3日」の開廷ペースも実現しないのでは、被告人の「迅速な裁判を受ける権利」はどこへ行ったのだろう。

 そのうえ、全体的な傾向として、公判前整理手続きが長期化している。公判が始まる前の保釈が認められない被告人が、身柄を拘束されたまま公判前整理手続きに1年、2年を要するケースは「ざらにある」と高野弁護士は言う。

「迅速な裁判を受ける権利が損なわれているのは、ゴーンさんだけの問題ではない」

 かつては、起訴から1か月から1か月半で初公判が行われるのが、裁判所の暗黙のルールだった。初公判の後に保釈が認められれば、裁判は長期にわたって身柄拘束の期間が長引くのを避けられるからだ。しかし、公判前整理手続きの導入で初公判までの時間がかかるようになり、そのために保釈が遅れる被告人もいる。

 最高裁の調査では、公判前整理手続きの平均期間は2010年の「5.4か月」から、2018年には「8.2か月」となった。2012年に静岡県浜松市で建設会社経営者が殺害され、歯科医師が逮捕・起訴された事件では、公判前整理手続きになんと6年3か月を要した。そのうえ、公判中に証人尋問を巡って検察と弁護側が対立し、公判が中断し、再開が延期となった。

「逮捕・起訴された被告人は、自由を失い、仕事を失い、財産を失い、場合によっては家族や健康も失う。そうなってから、ようやく裁判が始まる。裁判より先に、処罰が行われている状態だ」と高野弁護士。

 否認する被告人が、1審でようやく無罪判決を受けても、被告人の座から解放されない。日本では、欧米とは異なり、検察官にも上訴が認められているからだ。

検察や裁判所のため?

 しかも、控訴審が速やかに行われるとは限らない。たとえば、都内の病院で、手術後の女性患者の胸をなめたなどとして、乳腺外科医が逮捕・起訴された事件。外科医は、昨年2月に東京地裁で無罪判決を受けたが、検察側が控訴した。事実関係が複雑な事件でもないのに、協議に1年を要し、控訴審はようやく今月始まる。

 この乳腺外科医のように、保釈と無罪判決によって身柄拘束が解かれていても、被告人であり続けることは負担が大きく、それは無罪が確定するまで続く。

 こんな事例がある。昨年9月、東京地裁立川支部は、公契約関係競売入札妨害(談合)罪に問われた青梅市内の土木建設会社前代表取締役の男性を無罪とする判決を出した。

 長期間の身柄拘束により、男性は心身の状態が悪化。捜査段階では否認していたが、保釈を得るために初公判で認めるという、「人質司法」の典型ともいうべき展開だった。その後、弁護人が交代し、男性も否認に転じ、約1年に及ぶ審理の結果、裁判所は「被告人には、自由な競争により形成される落札価格を引き上げているとの認識はなく、公正な価格を害する目的があったとは認められない」として、談合罪は成立しないと判断した。

 男性は、この事件のために代表取締役を退き、娘が社業を引き継いだ。起訴されたために、稼ぎの中心だった公共工事が一時指名停止となるなど、会社の経営は危機的状態が続いた。ようやく無罪判決が出たものの、検察側の控訴によって裁判が続いているため、金融機関からの融資は地元の信用金庫に限られ、それも多くの書類を出さなければならないなどの手間がかかる。日本公庫のような公的金融機関の融資も、裁判中であることを理由に断られた、という。

 もし、冗長な裁判によって、罪を犯したわけでもない人の企業が倒産するような事態にでもなれば、いったい誰が責任を取るのだろうか。

 弁護人が東京高裁に迅速に裁判を開いて控訴棄却するよう求めているが、本件の控訴審はいまだに公判日程すら決まっていない。

 もちろん、事案の真相解明のために調べるべきものは調べなければならない。だが、無実を訴える被告人が、1審で有罪判決を受け、控訴審で新たな証拠や証人を用意しても、裁判所が受け入れず、「迅速に」訴えを退けることはままある。

 つい先日も、長野県松本市の特別養護老人ホームで入居者が死亡したのは、おやつのドーナツをのどに詰まらせて窒息したため、として、業務上過失致死罪で一審有罪となった准看護師の控訴審で、東京高裁は「死因は窒息ではなく、脳梗塞による病死」と分析する医師らの証人尋問を1人も認めず、結審した。この件では、准看護師に過失があったかどうか、という法的な観点も争われており、有罪無罪の結論は控訴審判決を待たなければわからないが、死因という事実の解明に時間と手間をかけず、急いで事件を終結させようという裁判所の姿勢は際立っていた。

 こうした裁判を見ると、本来、被告人のものであるはずの「迅速な裁判」を受ける権利が、被告人のためではなく、検察や裁判所のために利用されているような気もする。

 先の青梅市の土木建設会社の場合は、男性の人望もあって、地元の民間人からの仕事の発注が相次ぎ、今年に入ってからは公共工事の落札にも成功して、なんとか息を吹き返しているのは、不幸中の幸いというべきだろう。それでも、事件によって被った大赤字を取り返さないと、大規模な公共工事の元請けとなれる許可が取り消されてしまう可能性もあり、危機は続いている。

 現社長の酒井晶子さんは訴える。

「うちの事件は、膨大な資料があるわけでもなく、海外に関係者がいるわけでもなく、裁判で調べるべきことは調べたはず。1審も、(人事異動による)検察官の交代で時間もかかりました。今、どうして待たされているのかがわからないのがつらい。いったいどうしたらいいのでしょうか」

(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


Facebook:shokoeg

Twitter:@amneris84

江川紹子が検証する【ゴーン被告逃亡事件】ー“人質司法”だけではない、刑事司法の問題点のページです。ビジネスジャーナルは、社会、, , , , の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!