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日本電産・永守会長の“冷血”経営…社長候補の地位を次々剥奪、「死ぬまでオーナー経営者」

文=有森隆/ジャーナリスト
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日産からの華麗なる転身とはいかなかった

 氏は19年12月1日付で船出したばかりの日産のトロイカ経営陣の要である副COOに就任した。とはいえ、内田誠社長兼最高経営責任者(CEO)、アシュワニ・ダプタCOOに次ぐNo.3だった。タプタCOOは三菱自動車からの転身組。内田CEO、関元副COOは内部昇格だが、取締役会が打ち出した「若返り」の旗印のもと、内田氏が専務からの“飛び級人事”で社長になった。関氏は年下のCEOの下で働くことになったわけで、「面白かろうはずがない」(日産元役員)。

 19年12月、日本電産の永守会長から受けた電話で関氏は、日本電産入りの決意を固めたとされる。実際、関氏は「私はもう58歳。(日産を)辞めるのは、社長として辣腕を振るいたかったから」と話していた。

 日本電産の創業は1973年。永守氏が一代で売上規模1兆6000億円の企業に育て上げた。永守氏は常に後継者を探してきた。

「日本電産はいい会社だが中小企業。永守氏以外に社長をやれる人はいない。それで外から引っ張ってくる。日本的風土の大企業からというところが、永守さんが求める人材の特徴。外資系からは採らない」(外資系証券会社の自動車担当のアナリスト)

 これまでの“社長候補”をざっと紹介しておく。2013年、日産自動車系の部品会社だったカルソニックカンセイ(現マレリ)社長だった呉文精氏を副社長に据えた。後継者の最有力候補と目されたが、呉氏は統括していた車載や家電事業で実績を上げることができず15年に退社。その後、呉氏は車載用マイコンで世界首位級のルネサスエレクトロニクスの社長になったが、その後、解任の憂き目にあった。

 次にシャープの社長だった片山幹雄氏を技術部門のトップにスカウトし、15年6月、取締役副会長に就けた。片山氏を“ポスト永守”の最有力候補と囃し立てたマスコミもあったが、永守氏が「60歳代の人に渡す時代じゃない。相当若返りを図る」と述べたことから、片山氏の社長就任の芽は消えた。現在、副会長兼最高技術責任者だ。

 永守氏の目標は2030年度に売上高10兆円企業に飛躍させること。そこで、タイ日産自動車の社長だった吉本氏を15年、日本電産トーソク社長にヘッドハンティング。翌16年、日本電産本体の副社長に抜擢した。車載事業を次の成長の柱と位置付けているから、その道のプロを後継者に選んだはずだった。18年6月20日の株主総会後の取締役会で吉本氏は社長兼COOに就いた。社長交代は創業以来初めてのことだった。

 19年3月期の連結決算の大幅な下方修正を同年1月に発表した際に、「これまで経験してきたことのない落ち込み」と永守氏は危機感と募らせた。20年1月23日の決算説明は永守氏が行った。19年10~12月期連結決算(国際会計基準)の営業利益は前年同期比15%増の326億円と5四半期ぶりに営業増益となった。だが、電気自動車(EV)用駆動モーターの生産の立ち上げに伴う費用負担が重く、20年3月期通期の最終利益は前期比23%減の850億円へと、再度、下方修正した。新型肺炎などもあり、この数字の達成も予断を許さない。

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