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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

ジントニックが感染症の特効薬?年間2億5千万人感染、80万人死亡する恐怖の病

文=篠崎靖男/指揮者
【完了・22日掲載希望】ジントニックが感染症の特効薬?年間2億5千万人感染、80万人死亡する恐怖の病の画像1
「Getty Images」より

 僕は今、南アフリカで仕事をしているのですが、こちらでも新コロナウイルス感染症が大きな話題になっています。クラシックコンサート会場も多くの方々が集まる閉鎖空間なので、日本ではキャンセルを余儀なくされているケースも出始め、ポップス音楽も含めた音楽産業への影響も大きくなってきています。

 WHO(世界保健機関)を中心とした研究開発チームが、新型コロナウイルスの治療法として抗エイズウイルス(HIV)薬などを組み合わせた2種類の臨床試験を行っており、その暫定結果が3週間以内に判明すると発表しました。治療薬の開発が待たれますが、すぐ手に入る既存の薬が特効薬として使用できれば、これほど良いことはありません。いずれにしても、早く終結してほしいと願っています。

 感染症に対する特効薬と聞いて頭に思い浮かべるのは、ジントニックというカクテルです。蒸留酒のジンと清涼飲料水のトニック・ウォーターを混ぜただけのもので、僕も夏の暑い盛りなどに、よく自分でつくって飲みます。今、はやりのウイスキー・ハイボールのように、誰でも簡単につくることができ、そこにレモンを入れても最高です。

 これは、イギリスならではのカクテルです。11世紀にイタリアの修道士によってつくられたジンが大量に飲み始められたのは、18世紀のイギリス・ロンドンで、産業革命の頃です。職を求めて集まってきた大量の労働者により形成されていたスラム街で飲み始められました。労働組合もなかった時代で、劣悪な環境で働きに働かされた労働者の楽しみといえば、仕事帰りの一杯ぐらい。しかし、重労働で得られる給料はとても低いためビールすら買うお金はなく、安くてすぐに酔うことができるジンを飲みにパブに繰り出しました。

 そんな背景もあり、ジンは低所得労働者の酒で、“不道徳な酒”というイメージがついて、貴族や良家の紳士は決して口にすることはありませんでした。花婿がジンを飲んでいると聞いた花嫁の両親が、婚約を解消することもあったといわれています。今でも、ロンドンのそのあたりには古いパブ風居酒屋が多くあり、むしろ歴史を感じる観光地としてにぎわっています。

 そんなジントニックですが、同じ銘柄を揃えても、日本で飲むのと英国で飲むのとでは味わいが違うことを不思議に思っていました。実は、海外のトニック・ウォーターには「キニーネ」という薬品が入っており、それが独特の苦みを出しています。日本では、キニーネ自体は食品に添加できないのですが、キニーネを主成分とする「キナ抽出物」としてなら添加できます。しかし、残念ながらコスト上の問題で、キニーネではなく、別の物で代用されているものがほとんどなのです。

「やすお、トニック・ウォーターの瓶に、キニーネが入っていると印刷されているだろう。このキニーネはマラリアの治療に効果があるとされていて、イギリス植民地時代のインドでは、労働者はマラリアを恐れてトニック・ウォーターをどんどん飲んでいたんだよ」

 こう教えてくれたのは、友人のケンブリッジ大学出のイギリス人医学博士です。実際に、キニーネの入ったトニック・ウォーターは、熱帯地方の英国植民地でマラリア原虫に毒性を示す特効薬として飲まれており、ベトナム戦争当時のアメリカ軍の野戦病院でも、キニーネはマラリアの薬として使われていたのです。

 マラリアは、マラリア原虫をもった蚊に刺されることで感染する病気です。日本では、1960年代に根絶されたとなっていますが、今でも1年間に世界中で2億5000万人が感染し、80万人以上が死亡している怖い病気です。1週間から、時には1カ月近くの潜伏期間を経て、高熱に襲われます。

 マラリアの原因と治療法が知られていなかった昔は、日本でも大変恐れられていましたが、かの平清盛もマラリアで亡くなったといわれています。当時は「おこり」と呼ばれた熱病として、平家物語にその様子を詳しく書かれています。清盛が死ぬシーンで、火のついた車輪を持つ牛車が現れたというのは、清盛が苦しんだ40度以上にもなる高熱を描写しているといわれているのです。

 マラリアは、ツタンカーメン王やジュリアス・シーザー、日本では「一休さん」のモデルとされる一休宗純の命まで奪ったといわれています。今では治療法が確立されていますが、現在でも東南アジア、アフリカ、オセアニア、中南米を訪れる際には気をつける必要があります。

南米の薬草がマラリアの特効薬に

 さて、ロンドンのスラム街で低所得労働者たちがジンを飲んでいた1764年、神に才能を与えられた作曲家・モーツァルトがロンドンを訪れて、1年3カ月も滞在しています。当時、まだ8歳だったモーツァルトは、もちろんジンは飲んではいないでしょう。この天才を、経済大国イギリスの王侯貴族のお抱え音楽家にすることを目的としていた父親のレオポルド・モーツァルトは、ロンドン到着後すぐイギリス国王ジョージ3世に売り込むためにバッキンガム宮殿を訪れ、国王や王妃をモーツァルトの才能で驚かせます。

 特に王妃シャーロットは、イギリスに嫁いできたドイツの王女です。ドイツ語を話すモーツァルト親子をすっかり気に入ったようです。ちなみに、このシャーロットは大変な音楽好きで、同じくドイツの大作曲家・バッハの息子を自分専用の音楽教師として雇っていたほどです。このバッハの息子との出会いがモーツァルトの音楽をさらに成長させることになったのです。

 そんなモーツァルトがバッキンガム宮殿で優雅に演奏していた頃、イギリスの繁栄は産業革命だけでなく、植民地インドからの搾取によって支えられていました。そのインドで働く労働者たちにとって恐ろしいマラリアですが、その特効薬となるキニーネは遠く離れた南米大陸のアンデス山脈に自生していたキナ属の薬草だったのです。古くから、原住民のインディオが解熱剤として使っていたこの薬が、アジア・アフリカ・オセアニアの人々を苦しめていたマラリアの治療薬になるとは、なんとも不思議な話です。

 南米で古くから興奮剤としてだけでなく胃腸の痛み止めや高山病の薬として原住民に使われてきたコカの葉と実も、ヨーロッパに渡って局所麻酔薬となりましたが、のちに麻薬コカインとなって世界の人たちを苦しめることになりました。南米のアマゾンには、今もなお手つかずの固有種がたくさんあり、難病の特効薬を探すために植物採集に向かっている研究者が多数いるそうです。
(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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