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「加谷珪一の知っとくエコノミー論」

日本の高度経済成長は“偶然”という歴史的事実…朝鮮戦争なければ東南アジア並みの国

文=加谷珪一/経済評論家
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東京オリンピック前年の赤坂見附(写真:Fujifotos/アフロ)

 近年、日本経済は身動きが取れない状態が続いている。グローバル化やイノベーションの進展によって市場環境が激変しているにもかかわらず、日本だけが戦後型の経済構造から脱却できていないことが原因である。

 事態を改善するには、過去の経緯について冷静に分析し、正しい処方箋をつくった上で、産業構造の転換を図る必要がある。だが、日本社会には過去の検証を極度に嫌う風潮があり、これが改革の大きな障壁となっている。私たちは戦後の高度成長について、もう一度、ゼロから見つめ直す必要があるだろう。

日本が高度成長を実現できた2つの要因

 日本が戦後、驚異的な経済成長を実現し、高い産業競争力を獲得できたのは、日本人が努力を積み重ねたことに加え、政府の産業政策が大きな成果を上げたというのが通説となっている。だが、この話は少々疑ってかかったほうがよい。

 戦後の日本経済は、文字通りゼロからのスタートであった。日本人が必死の努力を重ねてきたのは事実であり、否定するつもりは毛頭ないが、これを高度成長の理由とするのはあまりにも情緒的であり、ナイーブに過ぎるだろう。米国もドイツも中国も皆、必死に努力しており、日本人だけが勤勉で不断の努力を積み重ねたわけではない(自国を誇りに思う気持ちは大事だが、それが転じて、世界の中で日本だけが優秀であるという価値観を導き出すことは危険である)。

 戦後、日本経済が特に高い成長を実現できたことには、2つの偶然が重なっていると筆者は考えている。ひとつは朝鮮戦争特需であり、もうひとつは全世界的な産業構造のシフトである。

 豊かになった今の時代には想像もできないことだが、発展途上国が産業を振興させる上でもっとも大きなカベとなるのが外貨の獲得である。とりわけ、原材料を輸入して製品を製造して輸出する、いわゆるモノ作りの国にとって、十分な外貨を確保できないことは致命的な事態となる。

 製品を製造するためには、まずは原材料を輸入する必要があるが、基軸通貨国でもない限り、決済はドルなどの外貨となる。このため外貨を持っていないと、そもそも原材料を輸入できないので、モノ作りをスタートすることすらできないのだ。

 日本は太平洋戦争(日中戦争含む)に国家予算の74倍(インフレを考慮した数字。名目値は280倍)という途方もない戦費をつぎ込み、そのほとんどを国債の日銀直接引き受けで賄ったことから、日本の財政は完全に破綻。終戦直後から準ハイパーインフレともいえる事態となり、日本円は紙くず同然となった(ちなみに自国通貨建てであれば政府がいくら借金しても問題ないと主張する人がいるが、終戦直後の日本経済の破綻を見ればその理屈が間違っていることは一目瞭然である)。

 日本は米国や英国など主要国をすべて敵に回していたので、国際的な金融市場からも閉め出されており、外貨もほとんど保有していなかった。このような状況において、代金として日本円を受け取ってくれる奇特な相手が存在するわけもなく、工場を動かしたくても、原材料を輸入することすらままならなかったというのが終戦直後の実態であった。

朝鮮戦争特需がなければ今の日本は存在していない

 マーシャルプランに代表されるように、欧州に対しては多くの復興支援策が実施され、大量のドルが供給されたが、日本に対してここまでの支援策はなく、本来なら重工業化など夢のまた夢であり、アジアの貧困国に転落していた可能性すらあった。だがこうした状況を一気に変えたのが朝鮮戦争(1950~1953年)の勃発である。

 米国は朝鮮半島に大量の物資を供給する必要に迫られ、好むと好まざるとにかかわらず日本は米軍の後方支援拠点となった。日本企業には空前の注文が殺到したが、特需のメリットはそれだけではない。米国からのドルの支払いによって、原材料の輸入に欠かせない貴重な外貨を獲得できたことである。

 1951年から1953年の3年間で10億ドルを上回る発注が日本企業に出されたが、1ドル=360円で換算すると日本円で約3600億円となり、これは日本の年間輸出総額に匹敵する水準であった。また、当時のGDPは4兆円程度なので、1年あたりの発注金額はGDPの3%に相当する。単純比較はできないが、今の状況に当てはめると年間16兆円もの注文を受けた計算となる。

 日本経済にとってこれが神風となり、1951年の名目GDPは前年比でなんと38%という驚異的な成長を実現し、日本経済は一気に息を吹き返した。

 朝鮮戦争特需は巨額の財政支援と同じであり、しかも外貨不足という問題が一気に解消されたことから、これをきっかけに日本経済は怒濤の経済成長に突き進むことになる。もし朝鮮戦争がなければ、日本は韓国や東南アジアと同じレベルの経済水準にとどまっていた可能性が高いという現実を考えると、偶然が作用した面が大きいことについて認めざるを得ないだろう。

 少し話がそれるが、近年、日本の国力低下や世論の保守化に伴い、国内ではグローバルな金融市場に背を向けるような論調が強まっているが、こうした内向きな議論というのは、ある種の「平和ボケ」に近いと筆者は考えている。

 朝鮮戦争特需が発生するまでの間、日本企業にとって外貨というのは、ダイヤモンドよりも貴重な存在であった。国際金融市場に自由にアクセスでき、いくらでも外貨を準備できる今の環境がどれほど幸せで有利なことなのか、私たちはよく理解しておく必要がある。

輸出というのは国内事情とは無関係に決まる

 もうひとつの偶然は世界経済の構造転換である。戦前の社会では、軽工業の比率も高く、全面的に重工業へのシフトが進んでいるとはいえない状況だった。だが戦後になって、欧州の経済復興やアジア各国の独立が進むにつれて、工業生産が全世界的に拡大し、消費者の生活が急激に豊かになった。

 急拡大する需要を満たすため、とにかく多数の工場を必要としたのが、1950年代から60年代にかけての世界経済であり、この流れにうまくマッチしたのが、安い労働力で品質のよい製品を大量生産できる日本という存在だった。

 経済学では支出面のGDPについて、消費、投資、政府支出、輸出の4つに大別できるが、この中で外的要因のみで決まるのが輸出である。GDPの定義上、輸出というのは、国外の需要ということであり、国内消費分以上に生産が行われていることを意味する。輸出があれば、より多くの生産設備を備える必要があり、この設備投資への支出が国内所得を大幅に増大させる。

 日本メーカーが良質な製品を作っていたのは事実だが、急激に工業製品への需要が拡大するタイミングで、安価な労働力を提供でき、輸出を拡大できたのは、やはり偶然といってよいだろう。

 政府が実施した産業政策についても同じようなことがいえる。

 終戦直後に実施された傾斜生産方式(石炭と鉄鋼の生産に資源を重点配分する施策)を皮切りに、日本は多くの産業政策を実施し、これが高度成長に寄与したといわれている。特定の産業分野に焦点を絞り、各種の補助金や税制優遇、外国企業の参入規制などによって育成を図るといういわゆるターゲティング・ポリシーは、現在でも日本の産業政策の中核となっている。

 確かに一部の業界では通産省(現経済産業省)による支援や合理化計画が功を奏したケースもあったが、一方で同省は、自動車産業を不要と見なすなど、多くの致命的な判断ミスもあった(自動車メーカーの数を制限すべきという通産省の要請を産業界が受け入れていたら、今の日本の自動車産業は存在しなかっただろう)。国内需要の拡大と旺盛な海外需要に対して、政府による資源配分がうまくマッチしたという面が強く、産業育成で経済成長が実現したとまでは言えない。

日本は輸出で得た資本蓄積の重要性をもっと理解すべきだ

 この手の話をすると、何を勘違いしているのか、ほぼ必ず「日本を貶めている」といった意味不明の批判が出てくるのだが、筆者が言いたいのはそういうことではない。

 朝鮮戦争特需に始まる日本の高度成長は、外生的に決まる大きな海外需要に支えられたものであり、これによって日本は巨額の資本蓄積を実現できた。近年は、中国や韓国、東南アジアの経済成長によって、日本以外にも多くの工業国が生まれており、製造業の競争環境は激化している。歴史の必然として高い競争力を持った工業国は、ほぼ100%、後発の新興国にその座を奪われており、日本も例外ではない。昭和の時代、目立った競合相手が存在しない中で、半ば独占的に多くの工業製品を輸出することができたのは本当にラッキーであった。

 日本はこの幸運によって得た資本蓄積の重要性をもっと認識し、これを最大限生かすような経済の舵取りを行う必要があると筆者は主張したいだけだ。

 全世界の工業化とそれに伴う工業製品に対する特需は、1990年代でひとつの区切りを迎えており、2000年以降は知識経済への移行によってITサービスへの需要が飛躍的に高まっている。加えて、経済のグローバル化が進んだことで金融資本が持つ重要性も増している。

 日本は蓄積した外貨を運用することで、すでに貿易黒字をはるかに上回る投資収益(所得収支)を得ているのが現実であり、かつては輸出しなければ稼げなかった水準の外貨を、寝ているだけで稼ぐことができる。

 日本は、大量生産を前提にした従来型産業を捨て去るタイミングをとっくの昔に迎えており、資本蓄積と1億人の消費市場を活用した知識経済への移行をもっと早く進めるべきだった。ベストな時期は逃したが、まだチャンスはある。この産業シフトを実現できれば、日本経済を次の成長フェーズに乗せることはそれほど難しいことではない。

(文=加谷珪一/経済評論家)

加谷珪一/経済評論家

加谷珪一/経済評論家

1969年宮城県仙台市生まれ。東北大学工学部原子核工学科卒業後、日経BP社に記者として入社。野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当。独立後は、中央省庁や政府系金融機関など対するコンサルティング業務に従事。現在は、経済、金融、ビジネス、ITなど多方面の分野で執筆活動を行っている。著書に著書に『貧乏国ニッポン』(幻冬舎新書)、『億万長者への道は経済学に書いてある』(クロスメディア・パブリッシング)、『感じる経済学』(SBクリエイティブ)、『ポスト新産業革命』(CCCメディアハウス)、『教養として身につけたい戦争と経済の本質』(総合法令出版)、『中国経済の属国ニッポン、マスコミが言わない隣国の支配戦略』(幻冬舎新書)などがある。
加谷珪一公式サイト

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