NEW
江川紹子の「事件ウオッチ」第147回

江川紹子が目撃した、不健全で堕落した「安倍首相やらせ会見」…記者クラブは今すぐ是正を

文=江川紹子/ジャーナリスト

 NPRの記者も、事前には予定されていなかった沖縄・辺野古に基地が作られた場合の環境汚染の恐れについて追加質問。安倍首相はそれに答えず、その後に予定されていたテレビ朝日記者の質問まで割愛して、記者会見を終了させてしまった。

 神保さんによれば、海外では政治家はメディア対策として、日頃から厳しい想定問答を用意し、どんな質問が来ても慌てずに対応できる状態を作っておく、という。

 トランプ米大統領も、記者会見では自ら記者を指名し、その場で繰り出される質問に答えたり反論したりして、丁々発止のやりとりを繰り広げている。

 これに対して安倍政権の日本では、決められたシナリオを読み上げるかのような、まるで緊張感のない記者会見が行われている。ここまで堕落してしまったのは、官邸側の指示に唯々諾々と従っている記者側の責任が大きい、と思う。

 質問を通告しておくこと自体は、首相にきちんと準備をして、正確なデータを盛り込み、丁寧に答えてもらおうという点では、メリットもある。ただ、その場合でも、回答が不十分な場合、あるいは新たな疑問がある場合には、さらに質問して、きちんと問いたださなければならない。

 ところが、日本の首相会見では、記者たちはそれすらやらない。

 新型コロナウイルスについての記者会見も、例外ではなかった。首相は都合の悪い質問には答えなかった。官僚が用意した原稿は、質問には答えずに、冗長な言い回しでごまかす“工夫”がなされていた。

 幹事社・朝日新聞の記者の質問のなかには、こんな問いがあった。

「全国の小学校、中学校、高校などへの臨時休校の要請についてお伺いいたします。総理は27日に突然、発表しましたけれども、その日のうちに政府からの詳しい説明はありませんでした。学校や家庭などに大きな混乱を招きました。まず、説明が遅れたことについて、どうお考えになるかについてお伺いします」

 これに対する首相の答えはこうだ(長いので、「断腸の思い」などを述べている最初の部分はカットして引用する)。

「何よりも子どもたちの健康、安全が第一である。学校において子どもたちへの集団感染という事態は、なんとしても防がなければならない、そうした思いで決断したところであります。専門家の皆さんもあと1〜2週間(が特に大事)という判断をされた。いわば判断に時間をかけている暇(いとま)は、なかったわけであります。十分な説明がなかった。与党も含めてですね、それは確かにその通りなのでありますが、しかし、それは責任ある立場として判断をしなければなかったということで、どうかご理解を頂きたいと思います」

 説明が遅れたことについて聞かれているのに、判断が急だったことについての弁明をしている。全然答えになっていない。

 さらに「(休校によって)感染をどこまで抑えることができるのかなどについての見通し」と問われた部分については、回答ではまったく触れなかった。

 にもかかわらず、記者たちはそれを問いただすこともせず、次に指名された質問者が、あらかじめ予定していた別の質問を淡々と読むだけだった。

記者クラブの存在理由は

 日本の首相記者会見は、かつてはこれほどまでに堕落した会見ではなかった。

 昨年11月に亡くなった中曽根康弘元首相は、自分の政治家時代の資料を保管しており、それをそっくり国会図書館に寄贈した。一部は公開が始まっている。その中に、首相時代の記者会見のファイルがある。

 それを見ると、記者は事前の質問通知は行っているが、首相がそれに答えた後、追加質問をしている。そして司会はしばしば、最後に「ほかに質問はありませんか」と問いかけ、質問が尽きたのを確認して、会見を終わらせている。

 たとえば1986年4月9日に行われた、対外経済政策発表後の記者会見。初めに中曽根首相からの所見表明があり、その後、記者と首相の間で10往復やりとりが交わされている。そして、司会は次のように会見を締めくくった。

「ほかに質問はございませんか。それでは、これで記者会見を終わります」

 会見時間は50分間だった。

 同年8月9日の長崎市での記者会見では、初めに同行の内閣記者会が4問、続いて長崎市政記者会が5問の質問をし、首相がそれに答えた後、司会はこう述べている。

「関連する質問がありましたらどうぞ」

 それに応じて、広島・長崎両市が平和宣言で、核軍縮交渉を被爆地で開催したいと要望したことについて、首相の考えを問う質問が出ている。

 こうした質問に対する1つひとつの答えから、首相自身の考えや問題についての理解を知ることができる。その積み重ねの中で、国民は政府を評価し、政治に関する判断をする。

 安倍政権で行われているのは、「記者会見」とはとても呼べない。1人ひとりの記者が、官邸の意向にあらがうのは難しいかもしれない。けれども、権力者がメディアをコントロールしようとする時に、それと対峙し、取材の自由、報道の自由を守るためにこそ、記者クラブは存在するのではないか。これが、記者クラブの最大の存在理由といってもよい。

 ところが今回、それができていない状況を、多くの国民が知るところとなった。そのために、国民が知りたいことについて、首相に語らせられないのでは、記者としての職務放棄にも等しい。

 いい加減に、不健全で堕落した「やらせ会見」はやめにして、まともな記者会見を取り戻すべきである。

 そうでなければ、ジャーナリズムは国民にそっぽを向かれるだろう。

(文=江川紹子/ジャーナリスト)

●江川紹子(えがわ・しょうこ)
東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か – 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。

江川紹子ジャーナル www.egawashoko.com、twitter:amneris84、Facebook:shokoeg

プレスリリース入稿はこちら サイゾーパブリシティ