ただ、予防策については当然ながら完全ではない。1名でも感染者が出たならば本場所を中止するという前提のなか、低減策しか打てない状況での本場所開催は明らかにリスキーである。状況は刻々と変化することを考えていたのかは疑問がある。というのも本場所開催を決めたのが3月1日のことで、当時は大阪では数名しかいなかった感染者が、3月10日時点で73名まで拡大しているからである。開催決定から千秋楽まで3週間の猶予があり、この期間での大阪周辺のコロナウイルス感染拡大は予想できたはずだ。

 もしここで感染者が出たとしたら、どうだろうか。ここ数年不祥事を繰り返している相撲協会が判断を誤ったとなれば、世間の反応はある程度うかがい知ることができるだろう。これは単に感染者が出たからといって開催を中止にするだけで収束する話ではない。世間の信頼については回復途上という段階なのだ。ようやく騒動が一段落を迎え、新しいスター候補生達が明るいニュースを提供している。バラエティ番組にも出演し、世間に新時代の大相撲を訴求している今だからこそ、この決定はリスクに主眼を置くべきだったと私は思う。力士たちの土俵上での努力を、相撲協会の不手際で台なしにしてはならないのだ。

 開催を決定するのであれば、中止ではなく無観客での開催を決定した理由について論理的な説明が必要だ。専門家を交えて協議がなされたということではあるが、リスクがありながらも開催する論拠があるからこそ開催へと舵を切れたはずなのである。

 私は本場所初日に行われる理事長による挨拶の中で、この点について触れられることを期待した。審判部の親方衆と幕内の力士全員が集結しての挨拶はニュースでも取り上げられていたが、歴史に残る大きな意味があるものだった。以下はその一部である。

「古来から力士の四股は邪悪なものを土の下に押し込む力があると言われてきました。また横綱の土俵入りは五穀豊穣(ほうじょう)と世の中の平安を祈願するために行われてきました。力士の体は健康な体の象徴とも言われています。床山が髪を結い、呼出が柝(き)を打ち、行司が土俵をさばき、そして力士が四股を踏む。この一連の所作が人々に感動を与えると同時に大地を鎮め、邪悪なものを押さえ込むものだと信じられてきました。こういった大相撲の持つ力が、日本はもちろん、世界中の方々に勇気や感動を与え、世の中に平安を呼び戻すことができるよう、協会員一同一丸となり15日間全力で努力する所存でございます」

大義そのものに対して疑問符が付く結果に

 今回のような動乱を抑え、人々の拠り所になるような存在だからこそ、大相撲は今まで生きながら得てきた。世が乱れている今、大阪場所を開催する意味がある。

 私も以前、災害が起こった直後に行われた丹波巡業に足を運んだ際に、これと同じ話を大山親方が土俵上でされていたことを思い出した。復興の途上で横綱が四股を踏む中で「よいしょ」と観客が声を揃えたあの光景は、確かに相撲と地域の心が通う場面だったと思うし、相撲が持つ意味を認識できる機会だったことは間違いない。

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