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巨人・亀井義行、甲子園での屈辱が名手を生んだ…高校時代は、プロ注目の好投手だった

文=上杉純也/フリーライター
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亀井義行(「Wikipedia」より)

 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、3月に開催されるはずだった選抜高等学校野球大会(センバツ)、すなわち春の甲子園が中止になり、プロ野球も開幕が延期されている。野球ファンにとって寂しい状況が続く今、せめてもの楽しみになればと、「春の甲子園にしか出場していないが、その後プロに進み、活躍した選手」を紹介するこの連載。第4回は読売ジャイアンツ(巨人)の亀井義行を取り上げる。

 2019年シーズンオフの契約更改で、プロ15年目にしてようやく年俸が自身初の大台1億円を突破した選手がいる。巨人の亀井義行だ。開幕の時点では貴重な左の代打として待機されていたが、シーズンが進むにつれ、主に1番や5番に座り打線を引っ張った。守っても堅実なプレーでチームの危機を何度も救っている。いわば、亀井は巨人の5年ぶりセ・リーグ優勝の隠れた立役者でもあるワケだ。

 だが、そんな亀井は高校時代、実はプロ注目の好投手として甲子園出場を果たしていたことをご存じだろうか。それは2000年の第72回春の選抜のこと。この大会には、なんと創部わずか2年目で初出場を果たした高校があったのだが、そのチーム=上宮太子高校のエースこそ亀井だったのである。さらに打順も3番を任されており、完全な“二刀流”といえる。

 この亀井の投打にわたる大車輪の活躍もあり、上宮太子は当時、まだ全国的にはまったく無名の存在だったにもかかわらず、強豪ひしめく激戦区・大阪にあって、この前年秋の府予選で見事に優勝。続く近畿大会でもベスト4にまで進出した。センバツ出場校を選ぶ選考会では、この亀井と箸尾谷英樹のバッテリーを筆頭に能力の高い選手が多く、全国でも十分上位を狙えるとの高評価を受けての堂々たる選出。それゆえ、日に日に評判はうなぎ上りに上昇していき、選抜が開幕するころには優勝候補の一角に名を連ねるまでになっていたのである。

百戦錬磨の明徳義塾に揺さぶられる

 組み合わせ抽選の結果、注目の初戦の相手は5年連続出場を誇る四国の強豪・明徳義塾高校(高知)となった。そしてこの百戦錬磨の試合巧者は、対戦前から初出場校を揺さぶりにかかってきた。新聞の取材に対して明徳義塾サイドは、こんなコメントを発したのである。

「亀井はけん制がうまくない」

 敵のこの談話に亀井はまんまと動揺したという。「僕って、けん制が下手でしたっけ?」とは試合に向かうバスの中で亀井が、とある上宮太子のコーチに向かって発したひとことだが、この言葉を聞いたコーチは亀井の明らかな動揺を感じ取っていた。そのため、「心理的に揺さぶるために言ったんやろ。かましているだけや」となだめたという。

 明徳義塾先攻で始まった試合で亀井は、いきなり先頭打者から三振を奪った。さすがは140キロ台の直球で注目されている好投手右腕。上々の立ち上がりかと思われたが、ショートを守る柿原伸哉は「直球がまったく走っていない。球速は130キロ出ていたかどうか」と首をかしげていた。そしてその不安は不幸にも的中してしまう。2番打者に内野安打を許したあと、続く3番・清水信任に甘く入った球を右中間に運ばれる適時三塁打。あっさりと1点を先制されてしまったのだ。ちなみに、この清水には7回表にチームの追撃ムードに水を差す痛恨の右越えの2点本塁打を被弾するなど、結果的にあわやサイクルヒットとなる長打4本(二塁打2、三塁打1、本塁打1)を喫した。

 試合前から仕掛けてきた明徳義塾サイドの先制パンチの前に試合前からすでに亀井は平常心を失っていたのである。この日はいつもよりボールを持つ時間が異様に長く、必要以上に走者を気にしていた。その投球は明らかに亀井のリズムではなかったのだ。結果、終始、高めに上ずる亀井の直球に対し、明徳義塾打線は鋭いスイングで対応し、力負けすることがなかった。その巧打の格好の餌食となり、先発全員で毎回の15安打を浴びてしまう。

 さらに試合当日の甲子園のコンディションは初出場の上宮太子にとって、野球の聖地からの強烈な洗礼ともいえるものだった。前日までの春先の陽気な気候から一転、この日はとてつもなく寒く、風が強かったのである。強風とグラウンドコンディションの軟弱さに上宮太子守備陣は翻弄され、エラーを連発。特に三本間の挟殺プレーに致命的なミスが出てしまった。

 結果、亀井の自責点は4点ながら、9点を献上した。上宮太子は、1対4とリードされた5回裏に2点を返し、一時は1点差にまで詰め寄り優勝候補の意地は見せたが、反撃もここまで。明徳のエース・三木田敬二の緩急を使った投球の前に自慢の打線は散発の8安打がやっと。亀井自身は4打数2安打と気を吐いたが打点0に押さえ込まれた。甲子園常連の強豪校に、実力校とされる初出場チームが完敗を喫する、まさに典型的なパターンであった。

 そして、これが亀井にとって高校野球における最初で最後の甲子園での試合となってしまった。夏の甲子園出場を賭けた夏の大阪府予選は、準々決勝で北陽高校(現・関西大学北陽高校)の前に1対3で惜敗。甲子園での屈辱的な試合のリベンジを果たすことは叶わなかった。

 その後、亀井は高校卒業後に進学した中央大学野球部では投手と決別。1年の春から早くも内野手のレギュラーとしてリーグ戦に出場するようになる。上級生になると外野手にコンバートされ、東都大学野球リーグでMVP1回、ベストナイン3回を獲得するプロ注目の野手となった。

 こうしてみると、もし唯一出場した春の選抜で投手・亀井が大活躍していたら、現在の1億円プレイヤー野手・亀井は誕生していなかったのかもしれない。

上杉純也/フリーライター

上杉純也/フリーライター

出版社、編集プロダクション勤務を経てフリーのライター兼編集者に。ドラマ、女優、アイドル、映画、バラエティ、野球など主にエンタメ系のジャンルを手掛ける。主な著作に『テレビドラマの仕事人たち』(KKベストセラーズ・共著)、『甲子園あるある(春のセンバツ編)』(オークラ出版)、『甲子園決勝 因縁の名勝負20』(トランスワールドジャパン株式会社)などがある。

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