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日本の造船業界、存亡の危機…“地方の独立系”今治造船が“大手”JMUを救済の異常事態

文=編集部
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 1901(明治34)年、檜垣為治が今治市内に檜垣造船所を創業したことに始まる。太平洋戦争の戦時下の国家統制で地元造船の6社が合併し、今治造船が生まれた。戦後、今治造船は仕事がなく、従業員も離散。現場総監督を務めていた為治の次男の正一は、息子(長男)の正司らとともに今治造船を飛び出し自分たちの造船所をつくった。その後、船大工の大半を失い休業に追い込まれた今治造船が支援を要請してきたため、正一は資本金30万円をかき集め、古巣に戻った。59年、正一が今治造船の社長に就任。これ以降、檜垣家がオーナーとなった。

中興の祖は檜垣俊幸・グループ社主

 1980年代には、三菱重工業、三井造船、石川島播磨重工業、日立造船といった大手造船会社が競争していた。今治造船の生産能力は大手造船会社の3分の1だった。今治造船は瀬戸内海に数多くある地場の独立系の造船所の一つにすぎなかった。造船不況で大手がドックを削減し、新事業にシフトするなか、今治造船は経営不振の地場の造船会社を次々と傘下に収め規模を拡大していった。

 92年、実質創業者である正一の長男、正司が会長になると、正一の三男の俊幸が跡を継いで社長の椅子に座った。俊幸が今治造船を業界トップに押し上げる礎を築き、中興の祖と呼ばれている。俊幸の現在の肩書はグループ社主である。2005年、俊幸の後任の社長の栄治(正一の五男)が亡くなり、幸人が43歳の若さで社長になった。幸人は俊幸の長男。慶應大学卒業後、三井物産に入社し、船舶部で2年間の修業を経て今治造船に入った。

今治造船が大赤字のJMUを救済

 今治造船は非上場のため財務情報は開示していない。唯一、知ることができるのは官報に掲載される決算公告のみだ。

 2019年3月期決算(単体)の売上高は前期比9%増の3910億円、純利益は同95%増の116億円。黒字経営を続け利益剰余金は3692億円ある。これに対してJMUは大型LNG運搬船の建造で巨額の工事損失引当金を計上、18年3月期は698億円の最終赤字に陥った。19年3月期決算(単体)の売上高は前期比11%減の2541億円、純利益は12億円の黒字に転換したものの、利益剰余金は377億円の赤字だ。

 さらに、JMUの20年3月期は純損益が360億円の赤字の見込みだ。JMUの業績悪化を受けて、出資企業は20年3月期の連結決算で、JMU株の評価損を計上する。46%出資するJFEは165億円の投資損失を計上。同じく46%出資のIHIは92億円、8%出資の日立造船は26億円の評価損を計上。すでに発表している65億円と合わせて特別損失は91億円になる。日立造船の例から見てIHIは追加で減損処理をする可能性大だ。

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