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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

「1万時間の法則」を実践したらプロサッカー選手に!指揮者は法則の対象外?

文=篠崎靖男/指揮者

 つまり、人それぞれなのですが、平均的に考えて「高校3年間と音楽大学4年間で専門的に努力して、一流奏者となれるかどうか」を計算してみます。

 プロの音楽家になりたいと思ったときに、まずやるべき大切なことが2つあります。ひとつは、自分に合った良い音楽教師を見つけること。もうひとつは、練習をたくさんして努力することです。音楽教師のレッスンは通常、週に1時間程度なので、それ以外の時間は、自分ひとりで練習することになります。試験前の週末ともなれば、8時間や10時間練習したというのはよくある話ですが、今回は除外して考えます。

 ここで、専門教育を受ける高校と大学の7年間に、毎日4時間練習したと仮定してみます。演奏家を目指している音楽学生は、それこそ毎日練習しているので、正月等を除いて、1年で360日練習したとすれば1440時間。7年間で約1万時間となります。「1万時間の法則」に従えば、高校と音楽大学の7年間のひたむきな努力で、一流の音楽家ができあがることになります。しかし、音楽大学を出て演奏家になれるのは、ほんの一握りです。昨年、厚生労働省が発表した2019年度の「大卒就職率97.6%」などは、音楽家にとっては“違う世界の話”なのです。

努力できることも才能の一部

 さて、「1万時間の法則」ですが、米プリンストン大学が2014年に行った研究では、この法則には不備があったとされています。練習量が少なくてもトップレベルになるような天才が一部にいて、逆にどんなに練習しても上達しない人もいるというのが彼らの論点で、練習量が多いか少ないかは実は関係ないという指摘です。

 これには、僕は反論します。一流演奏家はひとり残らず練習の虫です。僕は、オーケストラ楽員がものすごく練習しているのを見てきましたし、著名なソリストが朝から晩まで、時を忘れて練習をしている話を聞くことも多いのです。舞台に上がる直前になっても、舞台袖で楽譜をピアノの鍵盤に見立てて指を動かし続けているピアニストも少なくありません。しかし不思議なことに、彼らはあまり苦にしている感じがしないのです。

 野球の世界でも、現役時代は練習嫌いとして有名だった落合博満さんや新庄剛志さんが、実際にはすごく練習していたのと同じかもしれません。ただ、一般人と違うのは、練習の努力を苦にしないので、周りの人にはその努力が伝わりづらいのでしょう。努力自体、生まれ持った才能だという精神学者もいます。

 最後に指揮者について考えてみると、1万時間もする指揮の練習が思いつきません。僕が学生時代、世界的に有名なアメリカのタングルウッド音楽祭の音楽セミナーで2カ月半勉強した時のことですが、宿舎の庭にあるテニスコートに指揮科の学生ばかり集まっていました。僕はテニスが初めてでしたが、指揮学生に教えてもらいました。そんななか、楽器演奏コースの学生は毎日練習に追われて、テニスコートの横を散歩する時間すらも惜しんでいたのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)

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●篠﨑靖男
 桐朋学園大学卒業。1993年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで最高位を受賞。その後ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクール第2位受賞。
 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後、英ロンドンに本拠を移してヨーロッパを中心に活躍。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、BBCフィルハーモニック、ボーンマス交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、フィンランド放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団など、各国の主要オーケストラを指揮。
 2007年にフィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者に就任。7年半にわたり意欲的な活動でオーケストラの目覚ましい発展に尽力し、2014年7月に勇退。
 国内でも主要なオーケストラに登場。なかでも2014年9月よりミュージック・アドバイザー、2015年9月から常任指揮者を務めた静岡交響楽団では、2018年3月に退任するまで正統的なスタイルとダイナミックな指揮で観客を魅了、「新しい静響」の発展に大きな足跡を残した。
 現在は、日本はもちろん、世界中で活躍している。ジャパン・アーツ所属
オフィシャル・ホームページ http://www.yasuoshinozaki.com/

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