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今回は、戦前のダンスホールや踊り子について説明しよう。
日本初のダンスホールの「鹿鳴館」は、国賓や外国の外交官を接待するために明治16年に建てられた。政治的な性格が強く、貴族や将校など一部の人しか参加できないものだった。
大衆向けの娯楽施設としてのダンスホールは、大正に入ってから登場した。関東大震災の影響もあり、ダンスホール文化は大阪で花開き、やがて東京や横浜などにも誕生。ジャズや社交ダンスが発展するきっかけともなった。
また、朝ドラの中でも描かれていたように、男性が入場の際にチケットを購入し、1曲踊るたびにチケットを1枚ずつ踊り子に渡すという仕組みであった。踊り子の手元に来るのはチケット代の4割で、踊れば踊るほど稼げたのだ。そして、売れっ子になると、大卒の初任給50円の3~4倍もの額を稼ぐことができたという。
朝ドラの中の志津は裕一の心を弄ぶ悪女として描かれているが、もしかしたら、家族の明日のご飯を確保するために、一生懸命働く孝行娘の一面も持っていていたのかもしれない。
(文=安倍川モチ子/フリーライター)