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明智光秀も…「討ち死に」ばかりじゃない 武士の残念な死にざま

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※画像:『残念な死に方事典』(ワニブックス刊)

 鎌倉時代から明治維新までの約700年間、時代の主役は「武士」だった。

 武士は戦で戦うもの。けれど、武士たちが皆、戦場で討ち死にをしたわけではない。その死に方はさまざまで、「残念な死に方」をした武士たちも多くいたのだ。

『残念な死に方事典』(小和田哲男監修、ワニブックス刊)は、織田信長、明智光秀、坂本龍馬、沖田総司など、鎌倉時代から幕末までに登場する武士の死に方をイラストを交えながら紹介する。

 大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK)で話題の主人公・明智光秀。本能寺の変で織田信長を討った光秀の最期はどうだったのか。

 本能寺で信長を討ち取って京を制圧し、天下人になるはずだったが、ここで誤算が起きる。本能寺の変を正当化するために毛利方に宛てて送った密書が毛利に届かず、備中高松城の戦いに挑んでいた羽柴秀吉の手に渡ってしまったのだ。さらに平定したはずの京では、反旗を翻した光秀こそが謀反人であるという主張も出て混乱。中国攻めの最中の秀吉は毛利と和睦を結び、光秀を討つために全ての軍を姫路へ引き返して来てしまう。

 本能寺の変から11日後、天王山の麓である山崎で、光秀軍と秀吉軍の戦いが始まる。秀吉軍は4万近くに対し、光秀軍は1万余り。戦いが始まると、勝負がつくのは早かった。

 光秀軍の主戦力である斎藤利三隊とその3千の兵が崩壊すると、秀吉軍が戦局を一気に掌握。光秀は敗走するしか術がなく、数名の家臣と共に坂本城へ向かう途中、農民による落武者狩りに遭い、山野で野垂れ死んでしまう。信長を討って天下人となって11日、あまりに短いその治世は「三日天下」と呼ばれる。

 本書では光秀のほかにも、多くの武士が登場する。戦国大名から乞食になり、浜に捨て去られた伊藤義祐。冷水を浴びて月にお祈りして勝利を願おうと、冷水を浴び続けて倒れた戦国時代の大大名・尼子晴久。信長に逆らい、日本で最初に爆死したという説がある戦国武将・松永久秀。石山本願寺攻略に手間取ったため追放の憂き目に遭い、体調を崩して湯治をする際、足を滑らせて転落死した信長の重臣・佐久間信盛などなど「残念な死に方」のオンパレードである。どうにもかっこう悪く、おおいにまぬけな死にざまの数々は、武士といえども私たちと同じ人間なのだという、当たり前の事実に気づかせてくれ、彼らへの親近感がわいてくる。

 また、本書に登場する武士たちの思いもよらぬ最期を知ると、人生いつ何が起こるかわからないことを実感させられもする。武士たちの死生観を通じて、生死について改めて考えるきっかけとなるかもしれない。
(T.N/新刊JP編集部)

※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。

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