とはいえ、モバイル市場でシェアが高かった分、ソニーの自動車分野への参入は後れた。早くはなかった。ソニーが車載用CMOSイメージセンサーの商品化を発表したのは、業績悪化の真っただ中の2014年だ。
周回遅れだった。「後発組のソニーに勝ち目はあるのか」と、陰口を叩かれた。しかし、ソニー製のCMOSイメージセンサーはいまや、トヨタの高級車ブランド「レクサス」の最上級クラス「LS」に搭載されているように、自動車分野でも高い評価を受けているのだ。
パナソニックの“テスラ・ショック”
一方のパナソニックの車載事業はどうか。そもそもパナソニックの車載事業は歴史が古く、カーラジオ、カーエアコン、カーナビなど、さまざまな装備を自動車メーカーに納めてきた。自動車分野への参入は、ソニーに比べて、何倍も早かった。家電で培ったデバイス技術の自動車分野への“転地”を決断したのは、2012年に社長に就任した津賀一宏氏である。
「クルマづくりに不可欠な存在になることを目指します」
社長の津賀氏は、14年3月の事業方針発表会の席上、述べた。従来のB2C(消費者向けビジネス)からB2B(法人向けビジネス)への転換である。しかも、自動車メーカーと直接取引をする「ティア1」サプライヤーとして、世界トップ10に入るという大胆な目標を掲げた。
15年度から18年度までの4年間に1兆円の戦略投資をし、その大部分を次の収益の柱と位置づける車載電池事業の設備投資と、車載関連企業へのM&Aにつぎ込む計画を打ち出した。
その中核を担ったのは、EV向けの円筒形リチウムイオン電池である。その分野で、パナソニックは世界一のシェアを誇っていた。パナソニックは大型投資に踏み切った。手を結んだのは、米国のEVメーカー、テスラだ。リスクを承知の上の挑戦だった。その後の展開は別にして、私はこの選択は間違っていなかったと思う。
パナソニックは10年、テスラに3000万ドル(当時約24億円)を出資し、独占的電池供給の契約を締結、14年に米ネバダ州の大規模電池工場「ギガファクトリー」の建設総費用6000億円のうち、約2000億円を負担した。延べ1000人もの技術者も投入した。一気に攻めに出たのだ。
当初、パナソニックとテスラの思いは一致していた。17年1月に開かれた「ギガファクトリー」の開所式で、テスラCEOのイーロン・マスク氏と津賀氏は、固い握手を交わした。同工場で製造する電池は、普及モデルの小型セダン「モデル3」に搭載され、EV普及の牽引役となるはずだった。テスラ車が売れれば売れるほど、パナソニックの車載電池の売り上げも伸びるという構図である。
ところが、ご存じのように、シナリオ通りには事は運ばなかった。テスラはEV量産の立ち上げに難儀し、「モデル3」の発売は遅れに遅れた。
「『モデル3』の生産は、計画通りいっているのか」「電池への巨額投資は、プラズマテレビの二の舞にならないのか」――と、記者会見のたびに質問が出た。その都度、パナソニックは“テスラ・リスク”を否定した。「テスラ事業の赤字は一過性。黒字転換がのぞめる」と、津賀氏はテスラ事業についてあくまでも強気だった。