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著名経済人からコロナ死亡者…ATMやPOSを開発したオムロン、脱創業家経営に成功

文=編集部
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「オムロン HP」より

 制御機器メーカー、オムロン元社長で名誉顧問の立石義雄氏が新型コロナウイルス感染症のため、4月21日午前0時27分、京都市内の病院で死去した。80歳だった。告別式は近親者で行った。喪主は長男、郁雄氏(オムロンエフエーストア社長)。感染拡大に歯止めがかからない目に見えないウイルスの脅威は、経済界にも脅威を与えている。

 京都府と京都市は4月6日、オムロンの名誉顧問で京都商工会議所の名誉会頭を務める立石義雄氏が新型コロナウイルスに感染したと発表した。立石氏は1日に倦怠感を訴えて2日に発熱。5日に受診した医療機関で肺炎が確認されたため入院。6日のPCR検査で陽性と判定された。80歳と高齢であるうえ、基礎疾患もあり、入院当初から立石氏の容体は重症とされていた。感染ルートは不明とのことだった。

 立石氏は3月末、5期13年間務めた京都商工会議所の会頭を退き、ワコールホールディングスの塚本能交会長にバトンタッチしたばかりだった。京都商工会議所は所内で濃厚接触者は確認されなかったため、施設を消毒し通常業務を行った。

 立石氏が理事長を務める一般社団法人・京都知恵産業創造の森は7日、職員の濃厚接触者12人を自宅待機とした。8日から20日まで京都経済センター内の事務所を閉鎖し、業務は在宅勤務で対応した。立石氏は1日に辞令交付を行い、新たに着任する部長級の職員と握手していた。また1~3日に事務所内の理事長室で来客対応しており、同室を訪れた外部の3人も濃厚接触者に該当するため連絡を取った。

悲願は京都をベンチャーの都として再生させること

 立石義雄氏はオムロンの創業者である立石一真(かずま)氏の三男。一真氏は日本のオートメーション(自動制御)のパイオニア。自動券売機、自動改札装置を組み合わせ、世界で初めての無人駅システムを実現させた。ATM(現金自動預金支払機)やPOS(販売時点情報管理システム)なども開発した。

 義雄氏は同志社大学経済学部を卒業し、1963年、立石電機(現オムロン)に入社した。専務だった87年、長兄の孝雄氏の後任として47歳で社長に就任。工場がある御室に由来するオムロンへ社名変更したほか、カンパニー制の導入など社内改革に取り組んだ。リレー(継電器)などの制御機器に続き電子部品を事業の柱に育てあげ、中国での工場建設に積極的に取り組んだ。血圧計や低周波治療器を家庭に広め、医療機器を身近なものにした。

 ITバブルが崩壊した02年3月期にオムロンは157億円の損失を出し、危機的な状況に追い込まれた。創業家中心の経営に限界を感じていた義雄氏は03年、創業家出身者以外で初めてとなる作田久男氏に社長の椅子を譲り会長に退いた。作田氏は人員削減と並行して、不得意分野の事業の売却、撤退、合弁会社への移管などを進め、5年間で1000億円分の事業を連結対象から外した。文字通り、痛みを伴う改革で増収増益路線に戻した。

 義雄氏は財界活動に軸足を移した。関西経済連合会副会長を務めるなどした後、07年、京都商工会議所の会頭に就任した。会頭時代で義雄氏の最も大きな業績は京都経済センターの開設だった。構想から10数年。19年3月、京都のまちなかの一等地に、京都経済百年の計と位置づけた、オール京都の象徴というべき同センターを実現させた。経済団体や中小企業支援団体など約50機関が集まり、次世代を担う人材の育成をオール京都で取り組む、というものだ。

 創業者の一真氏は晩年、日本初のベンチャーキャピタルを創設し、日本電産の永守重信氏ら若い起業家の育成に力を注いだ。京都が京セラや日本電産といった有力企業を輩出し、ベンチャーの都といわれるようになったのは、一真氏の貢献が大きかった。「ベンチャーの都の再生」は一真氏の息子、義雄氏の悲願だった。京都経済センターの運営法人、京都知恵産業創造の森の理事長として、起業家育成に向け本格的に動き出す矢先に肺炎となった。コロナウイルスには勝てなかった。

「花街の将来は楽観できるものではない」として、京都伝統伎芸振興財団(おおきに財団)の理事長に就き、京都の花街文化の保存、継承にも力を尽くした。

創業一族で代表権を持つ役員はいない

 オムロンの20年3月期の連結決算(米国会計基準)は、売上高が前の期比7%減の6779億円、本業のもうけを示す営業利益は19%減の547億円と減収減益だった。自動車業界など製造業の設備投資が低調だったことから制御機器や電子部品が振るわなかった。最終損益が748億円で38%の増益となったのは、車載事業を日本電産に譲渡したことに伴う売却益が利益を押し上げたためである。

 21年3月期の連結業績予想は未定とした。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大による影響が見通せないためだという。9年目を迎える山田義仁社長兼最高経営責任者(CEO)は最大の試練を迎えることになった。

 11年6月、作田久男社長が代表権のある会長に就き、山田義仁執行役員常務が社長に昇格した。2代続けて創業家以外から社長が出たことになる。この時、創業家出身の立石義雄会長は取締役を退任、名誉会長となった。初めて創業一族から代表権を持つ役員がいなくなった。

 13年6月、作田氏はルネサスエレクトロニクスの再建を託され、会長兼CEOに就任した。作田氏の後任として、創業者の五男の立石文雄氏が取締役会長に就いたが、代表権は付与されていない。四男の忠雄氏(元副社長)の長男、泰輔氏が執行役員。義雄氏の長男、郁雄氏は今年4月、オムロンの制御機器の通信販売会社、オムロンエフエ-ストア社長に就き、経営者として第一歩を踏み出した。郁雄氏は慶應義塾大学ラグビー部のキャプテンを務めたラガーマン。創業家の第三世代がボード(取締役会)入りするのは、まだ先のようだ。

(文=編集部)

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