NEW
篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

バッハやモーツァルトが音楽家になったのは“家業”だったから?大作曲家誕生の裏側

文=篠崎靖男/指揮者
【完了・9日掲載希望】バッハやモーツァルトが音楽家になったのは家業だったから?大作曲家誕生の裏側の画像1
「Getty Images」より

 ドイツで17世紀から18世紀前半にかけて活躍した、“音楽の父”とも呼ばれるヨハン・セバスティアン・バッハは、なぜ音楽家になったのでしょうか。また、かの有名な、18世紀後半に活躍したヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、どうでしょうか。

 彼らは幼少の時から音楽に対して並々ならぬ興味を示し、それに気づいた両親が音楽の道に進ませたのでしょうか。読者の皆様はがっかりとなさるかもしれませんが、実は単純に家業だったからなのです。

 バッハは、曾祖父の代からの音楽一家です。ひ孫に大天才を生み出したわけですが、このバッハがつくり上げたのは素晴らしい音楽だけではありません。先妻と後妻との間に、合わせて子供がなんと20人もいました。無事に育ったのは男子6人と女子4人のみですが、そのうち4人の息子を優秀な音楽家に育てています。ちなみに、この時代は子供が大人になる前に亡くなってしまうことは珍しくありませんでした。モーツァルトも本当は7人兄弟でしたが、残ったのはモーツァルトと姉のナンネルだけです。

 当時のヨーロッパは、医療が未熟だったこともありますが、長い冬は家の中も寒く、食糧保存技術も限られていたので、食事は本当に粗末なものでした。衛生面も極めて悪く、フランス皇帝ルイ14世の頃でも、パリの街角の路上には人間の排せつ物がそのまま捨てられて、ひどい悪臭を放っていたそうです。むしろ、こんな悪い条件でも育つことができる子供だけが大人になれたのかもしれません。

バッハからモーツァルトへ

 さて、家業を継いで音楽家になったバッハの4人の息子のなかでも、ヨハン・クリスチャン・バッハは、世界的評価も得て世界経済の中心地ともいえるイギリス・ロンドンで大成功し、「ロンドンのバッハ」と呼ばれ、イギリス王妃シャーロットの専属音楽教師となるほどで、父親の才能を一番受け継いでいたと考えられています。そして、その豊かな才能から生まれた音楽が、ある大天才に引き継がれることになったのです。それがモーツァルトです。1764年に父親とロンドンにやってきた少年モーツァルトは、このバッハの息子から、これまで聴いたことがなかった華やかな表現と最先端の響きを学び取り、その後の音楽に大きく影響させたのです。つまり、モーツァルトは“音楽の父”バッハの孫弟子ということになります。

 本題に戻りますが、バッハの息子たちが父親の素晴らしい音楽に感動して音楽の道に進もうと考えたのかというと、そうではありませんでした。当時のヨーロッパでは身分制度がはっきりとしており、パン屋さんの息子はパン屋さん、靴屋さんの息子は靴屋さんになるのが普通でした。これは音楽の職業でも同じで、音楽家の息子が音楽家になるのは自然なことでした。

関連記事

プレスリリース入稿はこちら サイゾーパブリシティ