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藤和彦「日本と世界の先を読む」

新型コロナ、変わる死生観…家族の死を看取れず遺骨で対面、「臨終コンプレックス」も

文=藤和彦/経済産業研究所上席研究員

 臨終コンプレックスが生じる背景には、戦後の日本において死生観が欠如していることが関係している。戦争中に極端な精神主義(死生観)を強いられた反動で、戦後は死生観について論じること自体を回避する傾向が顕著となった。さらに経済至上主義やマルクス主義をはじめとする唯物論が広まったことで、死生観に関する空白状態が生じてしまった。死とは要するに「無」であり、あれこれ考えても意味のないことだと認識するようになった日本人にとって、愛する家族の最期に立ち会うことはせめてもの慰みであり、これを逃すことは痛恨の極み以外の何物でもない。

死生観についてもう一度考えを巡らす契機

 だが世界に冠たる超高齢社会となった日本で、「死は怖い、忌むべきもの」という認識のままで良いのだろうか。2012年6月、岡山県岡山市に「一般社団法人日本看取り士会」というユニークな団体が設立された。団体の理念は「すべての人が愛されていると感じて旅立てる社会づくり」である。具体的な活動内容は、来たるべき多死社会に備えて日本人の看取りを支える看取り士の養成とポジテイブな死生観を伝える「看取り学」講座の実施などである。代表の柴田久美子氏は「死は悲しくて怖いもの」というイメージを払拭し、「逝く人のエネルギーが『いのちのバトン』として家族に受け継がれ、家族の心の中で生き続けるという死に方(望ましい死)」を広めようとしている。

 新型コロナウイルスのせいで看取り士の活動などは現在休止を余儀なくされているが、柴田氏は団体のホームページに最期の時を奪われた家族に対して「寄り添えなかったとしても、大切な方は肉体を失っても魂となってあなたを今でも見守っています。受け取ったバトンを次に繋げましょう」とメッセージを送っている。

 心理学では、人は不快(不協和)な状態を回避しようとして認知の仕方を変えるとする理論(認知的不協和)がある。この考え方を援用すれば、最期の機会を奪われた家族はストレスを回避するために「死は無ではない。死んでも何か(魂)が残る」と死についての認識を改めるきっかけになるのかもしれない。

 欧米諸国では、現在のパンデミックを14世紀の欧州で猛威をふるったペストと比較することが多いが、ペストは当時絶大な権威をふるっていたカトリック教会の土台を大きく揺さぶった。3分の1もの人が亡くなったことで、多くの民衆は「本当に私たちを救う神なんて存在するのだろうか」と考え始め、キリスト教にとらわれない新たな死生観が生まれたといわれている。

「令和」という元号の出典となった万葉集の時代、当時の人たちは遺体から抜け出ていく「見えないもの(魂)」を想って歌を詠んでいた。今回のパンデミックは私たちが日本人の死生観についてもう一度考えを巡らす契機となるのではないだろうか。

(文=藤和彦/経済産業研究所上席研究員)

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