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江川紹子の「事件ウオッチ」第152回

黒川検事長辞任で残された課題…危惧されるメディアの“取材倫理”と“検察の独善”

文=江川紹子/ジャーナリスト
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 経緯が明らかになり、テレ朝は「取材活動で得た情報を第三者に渡したことは報道機関として不適切な行為」と女性記者を非難する一方で、「適切な対応ができなかったことについて深く反省している」とコメントした。

 私は、テレ朝社員であると同時に、ひとりのジャーナリストである女性記者が、自社が報じないとわかった時に、大事な情報を他メディアを使って発信したことは、正しかったと思う。そうしなければ情報は眠ってしまい、卑劣な行為が看過されることになるからだ。それを非難したテレ朝のコメントは、報道機関として根本的なところで間違っている、と私は考える。

 今回、「文春」に情報提供した「産経新聞関係者」はどうだったのだろうか。なぜ産経新聞の身内であることを明らかにしたのかは、考えてみてもよくわからない。

 産経社内では、賭け麻雀の当事者となった記者ふたりへの調査だけでなく、「関係者」の割り出しなども行われているのではないかと思う。ただ、それは会社を裏切った「犯人」探しとしての追及ではなく、その人があえて「産経新聞関係者」として「文春」に情報提供するに至った経緯の調査であるべきであり、会社の対応は適切だったのか、という視点で行われるべきだし、その結果はきちんと公表してもらいたい。麻雀をするに至った経緯についても同様である。

 それが報道機関としての責任だし、「産経新聞関係者」はそのことも問うているのではないか。

忘れてはいけない“検察の暴走”

 黒川氏が辞任した後は、彼の定年を延長した政府の責任追及や国家公務員の定年延長法案の行方などに、野党やメディアの関心は移行した。

 これらの課題も大事だが、法案を巡って関心が高まった、政治からの独立を含む検察のあり方についての論議を置き去りにしてはならない。

 黒川氏の定年を法解釈の変更によって無理やり延長したうえ、法相や内閣の判断で検察幹部の定年を延長できるとする法案が提出されたことで、検察の政治的な「独立」が危機に瀕していると、多くの人がネットなどで声を上げた。さらに、検事総長経験者を含めた“ロッキード世代”の検察OBが、意見書(ここではOB意見書Aとする)を提出。続いて、元東京地検特捜部長ら38人が「元特捜検事有志」として意見書(同じくOB意見書B)を発表し、やはり反対を表明した。

 検察幹部OBが、法務省提出の法案に異を唱えること自体珍しく、法案反対への追い風にもなるとあって、ネット上ではOBらへの絶賛や共感の言葉が飛び交った。

 確かにOB意見書Aは、17世紀のイギリスの思想家ジョン・ロックの「法が終わるところ、暴政が始まる」という言葉を引くなど、格調高く含蓄に富み、その内容は、私もおおむね納得がいくものだった。

 ただ、これまでの歴史においては、強い捜査権限を持った検察が暴走し、無理な取り調べで死者まで出したこともあった。

 たとえば、強制捜査開始から10年後に、最高裁で無罪判決が出て確定した長銀事件。旧日本長期信用銀行の経営者3人が粉飾決算の容疑で東京地検特捜部に逮捕された。当時、取り調べを受けていた長銀関係者は、検察は自分たちのシナリオに沿った自白を求めるばかりで、それと異なる事実の説明には一切耳を貸さなかったことなど、その無理な取り調べの実態を本に書き記している。そうした取り調べを受けていた銀行関係者ふたりが、自ら命を絶つ悲劇もあった。

 意見書は、こうした過去の暴走については言及していない。

 OB意見書Aは、厚生労働省局長だった村木厚子さんを逮捕した大阪地検特捜部主任検事が証拠改ざんまで行った不祥事には触れてはいる。ただし、それをもって「後輩たちが、この事件がトラウマとなって弱体化し、きちんと育っていないのではないか」と案ずるところなどは、心配することがらが違うのではないか、と思う。

 案ずるべきは、村木さんの事件を経てもなお、逮捕されていない段階での任意の取り調べや参考人事情聴取などでは相変わらず録音録画も行われず、検察のストーリーに基づいた無理な取り調べがあったと訴える例があることだろう。

検察のあり方についての議論を

 OB意見書Bに至っては、過去の検察の暴走には一切触れず、今回の法案が「検察の独立性・政治的中立性と検察に対する国民の信頼を損ないかねない」点のみを強調している。

 この意見書に名前を連ねた熊崎勝彦氏が東京地検特捜副部長として指揮をしたゼネコン汚職事件の捜査では、検事が取り調べていた参考人に暴力を振るい、特別公務員暴行凌虐致傷罪で有罪にまでなっている。

 同じく有志のひとりである大鶴基成氏が東京地検次席検事時代に捜査した陸山会事件では、内容虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出。小沢一郎氏は強制起訴に追い込まれたが、東京地裁は無罪判決のなかで、検察の捜査を厳しく批判した。

 先に挙げた長銀事件で主任検事を務めた佐久間達哉氏も、意見書Bに名前を連ねている。

 自分たちが関わったそうした「検察の暴走」に関しては一切目をつぶったまま、OBらが「検察の独立」や「国民の信頼」を語っているこうした意見書を、絶賛するだけでよいのだろうか。

 黒川氏の定年延長や今回の法案を巡る論議で明らかなように、検察の「独立」は大事だ。しかし、それが権力の暴走を招き検察の「独善」となるならば、注意しなければならない。

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