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三菱、住友、大倉…何が財閥再編の可否を分けたのか?【前編】

住友財閥も大倉財閥も再集結ならず…戦後も金持ちだった財閥当主が復権できなかったワケ

文=菊地浩之
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なぜ財閥は復活しなかったのか?

 しかし、住友吉左衛門が戦後も住友グループ企業の大株主であったことを知る人は少なく、大倉財閥が再び大倉喜七郎の下で再結集することはなかった。

 それは、高度経済成長で企業が急成長し、個人では大株主の座を維持できないほどに資本金が倍増してしまったからだ。たとえば、松下電器産業(現・パナソニック)は、1950年から1960年の10年間で資本金が93万6000株から20億株に急増した。実に216倍である。

 増資、増資の繰り返しで、いくら大倉喜七郎が資産家であっても、さすがに大株主の地位を維持できない。戦後日本で一・二を争う大金持ちだった松下幸之助(松下電器産業の創業者)が、配当金のすべてを増資株引き受けに使っても、大株主の座を守るのに汲々としていたくらいだから。

 換言するなら、高度経済成長がなかったら、企業の資本金倍増がそれほど進まなかったら、大倉喜七郎や住友吉左衛門は大株主として再び財閥当主として君臨していたかもしれない。

 ただし、財閥当主の株式買い増しはまったく無駄なわけではなかった。終戦直後のハイパーインフレはすさまじく、たとえば、1946年に540円だった公務員の初任給は、20年後の1966年に2万3300円になっていた。実に43倍! インフレ下では、資産は貨幣以外の形で持っていたほうが得策である。たとえば、株式。かくして、大株主・住友吉左衛門は、戦後も隠れた大金持ちとして余生を過ごしたのである。(【後編】に続く)

(文=菊地浩之)

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●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)など多数。

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