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池田小・児童8人殺害、18年目の新事実…宅間守の主治医・精神科医の愚かなミス

文=粟野仁雄/ジャーナリスト
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大阪教育大学附属池田小学校(「Wikipedia」より/KishujiRapid)

 児童8人が惨殺された大阪教育大附属池田小学校の事件から6月8日で18年。恒例の「祈りと誓いの集い」は、新型コロナウィルス感染防止から、生徒代表や教員らも例年の10分の一ほどの人数で行われた。当時を知る教員もほとんどいなかった。

 あの惨劇について筆者は偶然から、「凶行の主」宅間守についてある話を聞いている。

「男が小学校に押し入って、刃物で2年生の女児7人と1年生の男児1人を刺殺した」

 2001年6月8日午前、通信社の記者だった筆者は騒然とする大阪社会部であるものを見て驚いた。現場や池田署などに走った若い後輩記者が送ってきたファクスは、宅間守(当時37)の免許証のコピーだった。「箕面市瀬川……」と書かれた住所は、見覚えのあるものだった。なんと、はるか昔の1970年代後半、筆者が学生時代にお世話になっていた下宿アパートの住所ではないか。

 卒業後は年賀状のやり取り程度だったが、数十年ぶりに電話したらアパートを経営するおばちゃん、Aさんが電話口に出てきた。「うわー懐かしいね。あんた、どこにおるん? 私今ね、新聞記者たちに囲まれて大変なんよ」と話した。その後、「この人、親戚やから」と言って群がる記者たちを追い出して、筆者だけを家に入れてゆっくり話をしてくれた。

「結婚もうまくいかんかったらしく、どこか寂しそうな表情を見せることがあったわ」

 Aさんはいろいろと話してくれた。ご主人は高校の数学教員だった。アパートに停めてある他人のミニバイクを錐で穴をあけてパンクさせるなどさまざまな悪さをする宅間に、ご主人が「宅間君、そんなことしたらいかんやろ」と叱責すると「はい、すみません」と素直に悪さをやめるようなこともあった。

 温かい夫婦は彼の身の上話なども聞いてやった。一度、仕事に行く宅間のためにAさんが弁当をつくってやると、驚くほど感謝して「おばちゃんの息子、こんなおいしいもの食べとるんか」と言って涙を流した。Aさんは宅間が人の愛情に飢えていると感じていた。

「俺のこと医者にしゃべったやろ」

 ある時、宅間宛の郵便ポストに薬の袋が何度も送られるのに気付いたAさん。宅間に「あんたどこか体の具合でも悪いの?」と訊くと、「俺、実は精神科に通ってるんや」と打ち明けた。事実、宅間は西宮市のある病院の精神科に通っていた。

 ある時、病院の女性職員からAさんに電話があった。「そちらでの宅間さんの日常の様子を教えていただけませんか、宅間さんの治療に役に立てたいもので」とのことだった。宅間はまだ他人に迷惑をかけることもあった。「治療に役立つのなら」と、Aさんはそんなことをありのままに伝えた。

 ところが宅間を治療していた精神科医は後日、宅間が治療にやってきた際、「アパートでまだ悪いことしとるらしいな」などと言ってしまったのだ。それから宅間の態度が変わってきた。「おばちゃん、俺のこと医者にしゃべったやろ」と睨んだ。会話していても目が座ってくることがあった。怖くなってきたAさんは不動産屋に介入してもらい、穏便に下宿を引き払ってもらった。宅間は池田市内のアパートに引っ越した。犯罪史上に残る大事件が起きたのはそれからまもなくのことだった。

 Aさんから日常を聞いたということを宅間に言うなど、主治医の精神科医は実に愚かな対応をしたというしかない。宅間がAさんのアパートを出ていかずに温かいAさん夫婦に触れ続けていれば、歪んだ彼の精神にもなんらかの変化があったかもしれない。

 2005年11月に大阪市でマンションに忍び込んで若い姉妹2人を強姦、殺害した山地悠紀夫(09年7月刑死)のことを取材しようとして訪れた精神科医の岡江晃氏(当時、京都府立洛南病院院長・故人)は宅間守も精神鑑定していた。岡江氏は「宅間の場合は、社会に不満があるとか、ある程度はわかりやすかった。山地のように何を考えているのかわからんという不気味さはなかったですね」などと話していた。

 池田小学校の悲劇発生当時、偶然から筆者は思わぬ事実を知ったが、Aさんが「宅間が復讐するかもしれへん」と怖がるので、その時は書かなかった。近隣地域には事件の被害児童の家族なども住むため、宅間に同情的だったようにみられることも恐れていたようだ。

 筆者は04年9月に宅間が刑死した時、ある雑誌で上記のことを書いたことがある。「宅間の主治医が愚かな対応をしなければ、ひょっとしたら事件はなかったかもしれない」。この思いは何年たっても消えないままでいる。

粟野仁雄/ジャーナリスト

粟野仁雄/ジャーナリスト

1956年生まれ。兵庫県西宮市出身。大阪大学文学部西洋史学科卒業。ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)を経て、82年から2001年まで共同通信社記者。翌年からフリーランスとなる。社会問題を中心に週刊誌、月刊誌などに執筆。
『サハリンに残されて−領土交渉の谷間に棄てられた残留日本人』『瓦礫の中の群像−阪神大震災 故郷を駆けた記者と被災者の声』『ナホトカ号重油事故−福井県三国の人々とボランティア』『あの日、東海村でなにが起こったか』『そして、遺されたもの−哀悼 尼崎脱線事故』『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』『アスベスト禍−国家的不作為のツケ』『「この人、痴漢!」と言われたら』『検察に、殺される』など著書多数。神戸市在住。

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