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中井貴一主演NHK時代劇『雲霧仁左衛門』史実と違う?徳川吉宗“ご落胤”事件とのズレ

文=菊地浩之
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NHK時代劇『雲霧仁左衛門』に誤りが?時代設定と徳川吉宗“ご落胤”天一坊事件とのズレの画像1
現在NHK総合で放送中の『雲霧仁左衛門4』の公式サイトより。『雲霧仁左衛門』(くもきりにざえもん)シリーズの第1作は2013年にBSプレミアム「BS時代劇」枠で放送され、今回の『4』もBSプレミアムで2018年に放送済みのもの。2019年より、NHK総合の「土曜時代ドラマ」において、第1シリーズ1より順次放送されている。『雲霧仁左衛門5』は2020年8月よりBSプレミアムで放送が予定されていたが、新型コロナウイルス拡大の影響で放送が延期されることとなった。

『雲霧仁左衛門4』に登場の安部式部は実在の人物

 最近、時代劇が数少なくなったなかで、コンスタントに名作を提供してくれているのが、NHK総合の土曜時代劇だ。現在放映されている『雲霧仁左衛門4』は、時代設定を享保年間(1716~1736年)として話を進めている。

 中井貴一演じる主人公・雲霧仁左衛門の好敵手で、國村隼が演じる安部式部(あべ・しきぶ)は実在の人物である。

 安部式部信旨(のぶむね/1668~1724)は、家禄1000石の旗本の子として生まれた。安部家は一説に諏訪(すわ)一族の流れをくみ、梶の葉を家紋とする。旧今川家臣で、今川家没落後に家康に仕え、安部信盛(のぶもり)が1万9200余石の大名に取り立てられた。信盛の弟・安部正成が旗本になって、その孫が安部式部である。

 式部は24歳(満年齢)で父が死去して家督を継ぎ、御書院番(ごしょいんばん)、御使番(おつかいばん)という幕府の役職を経て、31歳で目付(めつけ)に登用された。旗本・御家人の監視、役人の勤怠などを監察する役職で、ここから長崎奉行などの遠国奉行、町奉行などに昇進する、旗本のエリートコースである。

 40歳の時に火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)に任命されたが、翌年離任。享保2年、49歳の時に再び火付盗賊改方に任命された。『雲霧仁左衛門』は安部式部が再任した頃を時代設定としているのだろう。

上司や捜査の相手も実在の人物なのだが

 火付盗賊改方の上司は若年寄なので、前シリーズ『雲霧仁左衛門3』では、安部式部が清水紘治演じる若年寄・大久保長門守(ながとのかみ)に呼びつけられる。この大久保長門守教寛(のりひろ)も実在の人物で、1万6000石のお大名である。若年寄は老中の一歩手前の要職で、大名クラスが任じられる(ちなみに、『雲霧仁左衛門4』に出てくる片岡重盛(しげもり)なる人物は実在しない)。

『雲霧仁左衛門3』では、田口浩正演じる外様大名の藤堂和泉守(とうどう・いずみのかみ)が登場した。伊勢津藩の藤堂家は当主が代々和泉守を名乗っているので、実在の人物にいそうだ。

 享保年間では、5代藩主・藤堂高敏(たかとし/1693~1728年)と、その養子で6代藩主・藤堂高治(たかはる/1710~1735年)がいる。高敏は享保以前に家督を継ぎ、享保13年に36歳(数え年なので、実際は35歳)で死去しているので、『雲霧仁左衛門』の時代設定がそれより前ならば高敏、それより後なら高治ということになる。

 実は安部式部が享保9年に在職のまま死んでいるので、おそらく高敏が30代前半の頃の話だったのではないかと思われる。ただ――田口浩正は30代前半にはどうにも見えなかったし、30代前半の外様大名が老中になろうだなんて、どんなにカネを積んでも無理だろう。

NHK時代劇『雲霧仁左衛門』に誤りが?時代設定と徳川吉宗“ご落胤”天一坊事件とのズレの画像2
2014年にポニーキャニオンから発売された『雲霧仁左衛門』のDVDジャケット。大江戸を舞台に活躍する盗賊・雲霧仁左衛門と、それを追う火付盗賊改方・安部式部の攻防戦を描く。全6話を収録。
NHK時代劇『雲霧仁左衛門』に誤りが?時代設定と徳川吉宗“ご落胤”天一坊事件とのズレの画像3
徳川吉宗の“ご落胤”を称する山伏が最終的に死罪となった、享保年間に起きたいわゆる“天一坊事件”は、歌舞伎の題材ともなった。画像は、幕末から明治にかけての浮世絵画家・豊原国周が明治8年に描いた錦絵。五代目尾上菊五郎が徳川天一坊を演じた。

“天一坊事件の黒幕”(?)も、実在の人物……なのか?

 現在放映されている『雲霧仁左衛門4』では、小野武彦演じる老中・安藤帯刀(たてわき)なる御仁が登場してくる。確かに、享保の頃の老中に安藤という人物がいる。安藤対馬守信友(つしまのかみ・のぶとも)だ。

 ただし、安藤信友は吉宗の長男・徳川家重附きの老中なのだ。『雲霧仁左衛門4』では、吉宗のご落胤と称したあの「天一坊事件」の天一坊でひと悶着のドラマを起こそうとしていたのだが、この御仁は家重が将軍になったほうが出世できる。うーん。そんな人物が天一坊事件の黒幕というのはちょっと難しい気がする(この原稿は第3話までしか視聴していない時点で書いているので、話が急展開したら……どうしよう)。

 ちなみに、この安藤家は代々「重×」という名をつけるのが慣習で、信友もかつて重興(しげおき)、重行(しげゆき)と名乗っていたのだが、家重に遠慮して「重」の字をやめ、信友と改名した。

 そう、江戸時代は改名・改称が可能だし、実に多かった。じゃあ、信友が過去に「帯刀」と名乗っていた可能性はないのか。
ところがこの信友に限っていえば、それは絶対にあり得ない。なぜなら、安藤家には本家と分家があって、この信友さんは分家筋の出身。本家筋は紀伊徳川家の附家老で、その本家が代々「帯刀」を名乗っているのだ。

 では、本家の帯刀さんが老中になったことはないのかといえば、紀伊藩附家老は将軍家から見ると陪臣(家来の家来)にあたるので、原則として老中にはなれないのだ。

天一坊は実在の人物だが、そのとき安部式部はすでに亡き人

 ここで困ったことは、現在放映されている『雲霧仁左衛門4』では、将軍・吉宗のご落胤と称する天一坊(永山絢斗)が登場してくるのだが、天一坊が世に出てくるのが享保13年ごろで、安部式部がとっくにお亡くなりになった後のことなのだ。

 とはいえ、数少ない本格的時代劇なので、そうしたことには目をつむり、思う存分楽しみたいと思う。

安部本家の子孫は来年度の大河ドラマにも関係

 ちなみに、安部の本家は加増・転封を繰り返し、武蔵岡部藩2万230石を領した。

 岡部藩は今でいうと埼玉県深谷市に位置する。来年度のNHK大河ドラマの主人公は深谷市出身の渋沢栄一で、庄屋の子である栄一が岡部藩の代官の理不尽な振る舞いに激怒する場面が描かれることだろう。

「あぁ、この安部サンって、安部式部の本家の安部サンね」って思っていただければ幸いである。

(文=菊地浩之)

菊地浩之

菊地浩之

1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)、『日本のエリート家系 100家の系図を繋げてみました』(パブリック・ブレイン、2021年)など多数。

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