新東名高速道路の建設工事が進められていた1999年、静岡県掛川市の粟ケ岳トンネル工事現場で出水。まもなく付近で、農業用水にしていた沢が涸れ、地下水を水源とする簡易水道が断水した。観光名所でもある「松葉の滝」も一時は水が止まり、現在にいたるも水量は3割程度しか戻っていない、という。
また大井川の豊かな水は水力発電に利用されてきたが、いくつものダムが造られていくなかで、水量が減少。1960年、大井川中流域に中部電力の塩郷ダムが設置された際には、下流域は水が失われて「河原砂漠」と化した。この時には、流域住民が水量の復元を求めて「水返せ運動」を展開。県が中部電力に水利権の一部返還を迫るなど、官民一体となった運動で、時間をかけて水を取り戻した。この運動に携わった人たちが再び集まり、今回のリニア工事でも声を上げている。
さらに、古くは1933年に完成した東海道本線丹那トンネルの建設工事に伴う水涸れがある。工事中の大量の出水に手を焼いて、多量の水抜き抗を掘った結果、丹那盆地の豊富な湧水は失われた。田んぼは乾田と化し、わさびの沢も消えた。
大井川は、流域の茶畑をはじめとした農業用の水として、あるいは水産加工場など多くの水を使う産業用水として、流域の生活用水として、人々の命を支えている。過去の轍を踏むまい、という静岡県の要求は、決して無理なものではないのではないか。
リニアが、東京や名古屋など大都市圏をますます繁栄させ、日本経済を押し上げていく効果はあるとしても、そのために地方の暮らしを犠牲にしていい、ということにはならない。東京圏に電力を供給していた福島県が、原発事故で大きな損失を被ったような構図を繰り返してはならないだろう。
国がバックについているという自信もあってか、JR側は水問題についての静岡県の本気度を当初、いささかみくびっていたように思えてならない。工事の遅れが懸念される事態となって、歩み寄りの態度を見せるようになったが、県との対話では、JR側の説明の矛盾が発覚することもあった。
たとえば、JRが「水は全量大井川に戻す」と言い切った後、県側の追及で、それが不可能と認める事態になった。トンネルの形状は、静岡工区を頂点とし、長野、山梨両工区に向かって下りの傾斜がある。JR側は静岡工区は下り勾配で工事を進めるとしているが、そうすると、工事が完成するまでの間、湧水は長野、山梨両県側へと流出することになり、水の「全量」を大井川に戻すのは無理だ。
工事期間の問題とはいえ、こうした不都合な事実を伏せるJR側の説明の透明度の低さや不誠実さに、県はますます不信をつのらせていったようである。
国交省が間を取り持つ形で有識者会議を立ち上げたが、同省はあくまでリニア建設を推進する立場であり、中立的な立場ではない。会議のメンバー候補に、工事を受注する企業の監査役が選ばれ、県が反発するなど、委員の人選を巡ってもすったもんだがあった。
ようやくできた会議に、JRの金子社長がオンライン参加。静岡県について「あまりに高い要求を課している」などと批判し、会議に対して「現実的な解決」を求めたことも、県側の神経を逆なでした。川勝知事は、「有識者会議を自分たちのための会議のように私物化している」と激怒。その剣幕に押されるように、JR側は謝罪した。
談合を誘発し、県の抵抗を招いたJRに今後求められるのは
国鉄の分割民営化からすでに33年。リニア新幹線は、JR東海となって、初めて自前で建設する新線。建設予定地の地元との交渉、ゼネコンとの付き合い方など、国鉄時代からの鉄道建設のノウハウは伝承されていないのではないか。その一方で、国が後押しし、愛知県を含め周辺自治体が早期開通を切望しているという自信もあり、JR側は自分たちが決めた通りのやり方に、地元自治体もゼネコンも従うだろうと高をくくっていたところはなかったか。このために、談合事件を誘発し、静岡県の抵抗を招いたのではないか。
私には、今回の事態と談合事件は同根のような気がしてならない。
コロナ禍のなかで、リニア建設そのものに疑問の声も上がり始めている。リモートワークが当たり前に行われるようになり、わざわざ東京・名古屋間を出張しなくても、多くの仕事が可能とわかった。さらに、第5世代移動通信システム(5G)の普及が進めば、いながらして快適にテレビ会議を行うことができる。今さらリニアが必要なのか、という根本的な問いである。