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悲惨な最期を迎えた女性芸能人【事故死編】

事故死した女性芸能人たち…ZARD、ハロプロ、そして泳げない実力派女優は海に転落した

文=峯岸あゆみ
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 新型コロナウイルス禍は、リアルに「死」というものについて考えさせられる機会だったのではないだろうか? 特に、志村けん、岡江久美子という有名芸能人が、未知のウイルスに冒されて立て続けに亡くなったことに、強い衝撃を受けた人は少なくないだろう。

 誰もが知る著名人物であろうと、華やかな舞台に立つスターであろうと、いつかは命果てるときが来る。ただ、芸能人の「死」のかたちもさまざまだ。寿命をまっとうして大往生するケースもあれば、なかには志半ばにして痛々しい最期を迎える場合もある。

 このシリーズでは後者にフォーカスして、まずは女性芸能人編として4つの記事を読者諸氏にお届けしたい。前回の「刑事事件」に続いて第2回の今回は、「事故」による死がテーマだ。思わぬ事故に遭遇し、若くして命を失った5人を取り上げたい。

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病に苦しみながら、不幸な死を迎えた坂井泉水

「負けないで」「揺れる想い」「マイ フレンド」など数多くのメガヒット曲を生んだZARD坂井泉水は、2000年頃から、子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症などの病に苦しめられていた。そして、2006年には子宮頸癌が発見される。このときは病巣の摘出手術を受け7月に退院したものの、翌年4月に癌細胞の肺への転移が見つかり再入院。抗がん剤による治療を受けていた。

 5月26日、治療後の復帰に向けて前向きな姿勢を見せていたという彼女は、入院先の慶應義塾大学病院内のスロープ状になっている高さ約3メートルの地点から地面に転落。倒れているところを発見される。その後、緊急処置を受けたものの、後頭部強打による脳挫傷のため翌27日に逝去した。40歳の死は多くのファンを悲しませた。

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2019年に幻冬舎より発売されたZARDの“オフィシャルブック”『永遠〜君と僕との間に〜』。

泳げない実力派女優、太地喜和子はクルマで海に転落

 映画『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』(1976年)や、テレビドラマ『白い巨塔』(フジテレビ系)などで知られる女優の太地喜和子も、痛ましい最期を迎えたひとりだ。

 1992年10月、静岡県伊東市で舞台公演期間中に共演俳優2名とスナックに立ち寄った彼女は、酔って「海が見たい」と希望する。行きがかり上、その店のママが自らのクルマを運転して海までドライブすることになった。その際、桟橋からクルマが海に転落するアクシデントが発生。同乗していた2人の俳優とスナックのママは助かったが、もともと泳げなかった上に酒を飲んでいた太地は、命を失うことになる。48歳、女優として円熟の域に達していた時期だけに、映画界、演劇界の損失は大きかった。

ハロプロメンバーがデビュー直前に交通事故死

 結成から約22年、モーニング娘。、松浦亜弥をはじめとした数多くのメンバーが所属したアイドル集団「ハロー!プロジェクト」には、在籍中に死亡した人物が1人だけ存在する。

 のちに里田まい(現在はニューヨーク・ヤンキース投手・田中将大の妻)も加入する「カントリー娘。」のオリジナルメンバーのひとりである柳原尋美だ。同グループは、1999年の結成当初、“半農半芸”なるコンセプトを掲げていた。タレントの田中義剛が北海道の中札内村で経営する牧場で働きながら芸能活動を行う、というスタイルがとられていたのだ。グループ名の由来もそこにあった。

 デビュー直前の1999年7月16日、柳原は自らが運転するクルマで牧場に向かっていた。このとき、運転ミスにより単独事故を起こし車両が横転し、車外に放り出された彼女はその下敷きに。ハロプロのキラキラしたステージに1度も立つことなく、19歳で命を失ったのだった。

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1999年7月23日にアップフロント傘下のレーベルより発売されたカントリー娘。のデビューシングル。「二人の北海道」。カントリー娘。のメンバーは写真左より小林梓、柳原尋美、戸田鈴音の3名。柳原尋美が不慮の事故により亡くなったのは7月16日。同シングル発売の1週間であった。

アニメ主題歌歌手・志賀真理子は留学先での事故死

 おニャン子クラブ旋風が巻き起こっていた1986年に、アニメ『魔法のアイドルパステルユーミ』(日本テレビ系)で主人公の花園ユーミの声優を担当し、主題歌『フリージアの少年』でデビューしたアイドル・志賀真理子も若くして事故死している。

 彼女は、1989年8月よりアメリカ・カリフォルニア州に留学した。同年11月、友人4人とドライブ旅行に出かけた途中、アリゾナ州の道路で、飛び出してきた動物を避けようとしたところ、車体が横転。車外に投げ出され、全身打撲で即死。20歳の誕生日の直前だった。もしこの事故さえなかったら、留学経験を経た志賀には、どんな輝かしい人生が待っていたのだろうか。

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1930(昭和5)年に撮影された、宝塚歌劇団の公演の様子(写真と本文に直接の関係はありません/写真はGetty Imagesより)

宝塚の舞台下で起きた史上最大の惨劇

 宝塚歌劇団の舞台公演の最中に起きた惨たらしい死亡事故がある。1958年4月、兵庫県宝塚市にある宝塚大劇場では花組による「春のおどり、花の中の子供たち」の公演が行われていた。

 同公演には、男役と娘役が抱き合いながら、セリの降下により舞台下に沈んでいくというシーンがあった。4月1日、その娘役を演じる予定だった人物が風邪をひいたため、月組の香月弘美が代わりに出演していた。

 事件は起きたのは夜の部の公演中、午後6時25分頃である。香月と相手役を演じたM(男役)が、セリ(タテ約1m×ヨコ約3m)の上に移ると同時に、その部分は予定通りに降下し始めた。 先にセリから飛び降りたMが数歩足を動かすと、背後で悲鳴と異常な物音が聞こえた。驚いて振り向くと、着用していた衣装のドレスがセリを上下させるための装置のシャフト(回転軸)に巻き込まれ、表情を失っている香月の姿が目に入った。また、Mの衣裳の背中には血しぶきが染み付いていた……。

 何が起きたのか? シャフトに巻き込まれたため、衣裳の腰回りの金属製ベルトが香月の身体を締め付け、瞬時にしてその身体を上下真っ二つに切断したのである。21歳の香月はその場で即死した。

 これは宝塚に限らず、日本の芸能史においても特異な事故であり、以後は同様の事例は発生していない。世の中全体に、安全管理の意識が低かった時代の話である。

峯岸あゆみ/ライター

峯岸あゆみ/ライター

CSと配信とYouTubeで過去のテレビドラマや映画やアイドルを観まくるライター。ベストドラマは『白線流し』(フジテレビ系)、ベスト映画は『ロックよ、静かに流れよ』(1988年、監督:長崎俊一)、ベストアイドルは2001年の松浦亜弥。

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