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片田珠美「精神科女医のたわごと」

自殺のために車の正面衝突を起こした男の精神構造…自己責任論跋扈と貧困拡大の帰結

文=片田珠美/精神科医
自殺のために車の正面衝突を起こした男の精神構造…自己責任論跋扈と貧困拡大の帰結の画像1
「Getty Images」より

 今年5月、福岡県福津市で起きた車同士の正面衝突事故で、片方の運転手の男が意図的に事故を起こし、相手の男性を殺害したとして、警察は容疑者死亡のまま殺人の疑いで書類送検する方針を固めたという。

 この事故では、普通乗用車と対向車線の軽乗用車が正面衝突し、普通乗用車を運転していた40代の男と軽乗用車を運転していた30代の男性が死亡した。その後の警察の捜査で、40代の男は周囲に自殺をほのめかしていたうえ、車のハンドルには喉に当たるように刃物を固定しており、100キロを超えるスピードで対向車に突っ込んだことが判明したのだ。

 2人に面識はなかったようで、40代の男が自殺するために30代の男性を巻き添えにしたと考えられ、典型的な拡大自殺といえる。昨年5月、川崎市多摩区の路上で私立カリタス小学校の児童らを当時51歳の岩崎隆一容疑者が襲い、児童と保護者の2人を殺害し、18人に重軽傷を負わせた事件でも、直後に岩崎容疑者は自殺している。

 川崎殺傷事件の後、テレビ番組で「死にたいなら、1人で死ねばいい」という趣旨の発言をする出演者が相次ぎ、物議を醸した。自殺願望を抱いている人が赤の他人を巻き添えにするのは一体なぜなのか? なぜおとなしく1人で自殺しないのか?

 その理由として次の3つが考えられる。

1)自殺願望は反転したサディズム

2)強い復讐願望

3)怒りと被害者意識

自殺願望は反転したサディズム

 まず、自殺願望は、他者への攻撃衝動の反転したものにほかならない。最初は他の誰かに向けられていた憎悪とサディズムが反転して自分自身に向けられるようになった結果芽生えるのが自殺願望なのだ。つまり、自分の人生がうまくいかず、殺したいほど憎い相手がいても、その相手を殺すのは無理なので、自殺願望を抱くようになる。

 そもそも、攻撃性の矛先が誰に向けられるかは非常に流動的だ。自傷行為を繰り返す患者を数多く診察してきた林直樹帝京大学教授は、「攻撃性が自分に向いて自傷行為、自殺未遂が頻発する状態と、攻撃性が外部に向けられる状態が交互に出現する経過はほかのケースにもよく見られる」と述べている。

 このように攻撃衝動が自分と他者との間を行き来するのはよくあることで、それが自分自身に向けられると自殺や自傷、他者に向けられると殺人や傷害の形で表面化する。だから、最初は他者に向けられていた攻撃衝動が反転して自殺願望が芽生えたとしても、それが再度反転して外部に向かうようになることもある。

強い復讐願望

 それでは、憎悪や攻撃衝動が自己と他者の間を行ったり来たりするとき、自殺に向かうのか、それとも他殺に向かうのかを決定する要因は一体何なのか? これは、復讐という動機の強さによって決まる。

 もちろん、自分自身の生命を犠牲にする究極の自己懲罰によって、もともと憎しみや敵意を抱いていた対象への復讐を果たそうとする意図が、自殺を図る人の胸中にまったくないわけではないだろう。

 自殺者の根底に潜む復讐願望は、たとえば、いじめを苦にして自殺した中学生や高校生がしばしば遺書に自分をいじめた生徒の名前を書き連ねていることに表れている。自殺した本人がどこまで意図的にやったのかは推測の域を出ないが、少なくとも自分が自殺した後、名前を書かれた生徒に対して聞き取り調査が行われ、場合によっては罰が与えられることを想定もしくは期待していたはずで、いじめの加害者への憎しみと復讐願望が透けて見える。

 だから、自殺者の胸中に復讐願望がまったくないとはいえない。だが、復讐願望が強くなるほど、他人を巻き添えにする危険性も高まる。そのため、復讐願望は拡大自殺の重要な要因になる。

 困ったことに、多くの人は自分自身が復讐願望を抱いていることに気づいていない。心の奥底に潜んでいる復讐願望を自覚できれば、まだ対処のしようがあるのだろうが、むしろ、そんな忌まわしい衝動などあってはならないし、あるはずがないと思い込んでいる人がほとんどだ。そういう無自覚の衝動にいったん火がつくと、それが外部に向けられるにせよ、反転して自分自身に向けられるにせよ、暴走して手がつけられなくなるのである。

怒りと被害者意識

 復讐願望を抱いている人の胸中には、怒りも煮えたぎっていることが多い。古代ローマの哲学者、セネカが見抜いているように、「怒りとは、不正に対して復讐することへの欲望」だからである。

 見逃せないのは、怒りに駆られている人がしばしば「不正に害された」と思い込んでいることだ。とくに怒りから拡大自殺を図る人の多くは、自分だけが理不尽な目に遭っていると思い込んでいる。

 もちろん、恵まれない家庭で育ったとか、予期せぬ不幸な出来事に遭遇したとか、何らかの失敗や挫折を経験したとか、経済的に困窮したとかいう事情を抱えており、追い詰められた末に犯行に及んだのだろうとは思う。

 ただ、中には、客観的に見ると乗り越えられないほどの大きな困難ではなく、別の選択肢もあったはずなのに、拡大自殺を選んだのは一体なぜなのだろうと首をかしげざるを得ない事例もある。

 その一因として、強い被害者意識があるのではないか。何でも被害的に受け止めると、「なぜ自分だけがこんな目に遭わなければならないんだ」と怒りを募らせやすく、当然復讐願望も強くなるからだ。

 問題は、こうした被害者意識が日本で最近強くなっており、「自分だけが割を食っている」と感じている人が年々増加しているように見えることだ。その背景には、個人的な要因だけでなく、社会的な要因もあると考えられる。

 まず、日本の貧困化が進んでいる。それに拍車をかけたのがコロナ禍である。しかも、日本人がみな一様に貧しくなっているわけではない。一握りの大金持ちがいる一方、食べていくだけで精一杯の貧乏人もいる。格差が拡大し、かつて「一億総中流時代」と呼ばれていた頃の「平等幻想」はもはや崩壊した。

 また、小泉政権以降広がった自己責任論も見逃せない。被害者意識の強い人の増加と自己責任論は、一見相反するように見えるかもしれないが、両者は表裏一体である。自己責任論が幅を利かせるほど、被害者意識の強い人は増える。

 というのも、自己責任論は、ある意味過酷だからだ。自己責任論を突き詰めると、うまくいかないのはすべて自分のせいということになるが、それを認めるのは非常につらい。何よりも、自己愛が傷つく。だから、強い自己愛の持ち主ほど、自己責任を否認して、「自分に能力がないわけでも、努力が足りないわけでもなく、○○のせいでこうなった。自分はあくまでも被害者なのだ」と思い込もうとする。したがって、社会が自己責任を強く求めるほど、他人のせいにする他責的傾向も、被害者意識も強くなる。

 このように被害者意識が強くなると、「自分はこんな理不尽な目に遭っている被害者なのだから、復讐するのは当然だ」と思い込む人が増える。その結果、絶望感と厭世観にさいなまれた人が、誰でもいいから殺して復讐を果たし、なおかつ自らの人生に終止符を打とうとする拡大自殺がますます増えるのではないだろうか。

(文=片田珠美/精神科医)

参考文献

片田珠美『拡大自殺―大量殺人・自爆テロ・無理心中』角川選書 2017年

林直樹『リストカット―自傷行為をのりこえる』講談社現代新書  2007年

セネカ『怒りについて 他二篇』兼利琢也訳 岩波文庫  2008年

片田珠美/精神科医

片田珠美/精神科医

広島県生まれ。精神科医。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。人間・環境学博士(京都大学)。フランス政府給費留学生としてパリ第8大学精神分析学部でラカン派の精神分析を学ぶ。DEA(専門研究課程修了証書)取得。パリ第8大学博士課程中退。京都大学非常勤講師(2003年度~2016年度)。精神科医として臨床に携わり、臨床経験にもとづいて、犯罪心理や心の病の構造を分析。社会問題にも目を向け、社会の根底に潜む構造的な問題を精神分析学的視点から分析。

Twitter:@tamamineko

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