お家騒動が耳目を集めたのは、中島氏が“超有名人”だったからである。中島氏は大蔵省(現財務省)のエリート官僚。「花の41年組」といわれた同期のなかでも有力な事務次官候補とされていた。1993年に同期の武藤敏郎氏(のちに大蔵・財務次官、現2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長)と並んで主計局次長に就任。しかし、金融機関による過剰接待疑惑をきっかけに95年に引責辞任した。

 その後、京セラや船井電機の役員として活躍していたが、09年、当時の碓井初秋社長がセーラーに招き入れた。碓井社長の死去に伴い、同年12月、社長に就任した。中島氏は高級万年筆を強化し、ロボット機器事業は中韓など海外での販売を増やすことを考え、経営を立て直そうとした。音声を再生するペン型再生機「音声ペン」などを開発し、第三の柱に育てようとしたが、すべてうまくいかなかった。社長に就任してから1度も黒字になったことはなく、14年12月期まで8期連続の最終赤字が続いた。

 それでいて中島氏は講演活動に忙しく、幹部が「本業の立て直しに集中してほしい」と求めても、行動様式は、まったく変わらなかった。このため取締役会は中島氏を社長から解職した。

 新社長に就いた比佐泰氏は、18年にプラスを筆頭株主として受け入れ、今回プラスの子会社として再建に取り組むことを決断した。業態の転換が迅速にできなかったのは、「万年筆のメーカーの先駆者」というプライドの高さゆえ、といわれている。

プラスがコクヨに挑んだ「PK戦争」

 プラスは1948(昭和23)年、東京で事務用品卸を営んでいた今泉商店と鈴木商店が合併した千代田文具がルーツ。1959年にプラスに商号変更した。文具・事務用品卸から自社工場をもつ本格的なメーカーに転進した。今泉一族の同族会社で非上場を貫いている。

「PK戦争」がプラスの名前を全国区にした。「キャンパスノート」を筆頭に文具メーカーとして圧倒的な力をもつコクヨに、流通に強いプラスが戦いを挑んだ。両社の頭文字をとって「PK戦争」と呼ばれた。2017年、プラスはたて続けにノートメーカーや卸会社を買収した。「極東ノート」のキョクトウ・アソシエイツ、量販店向け文具・事務用品卸の妙高コーポレーション(旧・三菱文具)、「アピカノート」のアピカを子会社にした。

 18年には量販店向けの文具・事務用品卸の大平紙業を100%子会社にした。19年、アピカとキョクトウ・アソシエイツが事業統合し、日本ノートとして再スタートを切った。2019年12月期の売上高は日本ノートが91億円、妙高コーポレーションが216億円、大平紙業が106億円。コクヨの牙城である文具市場で、プラスは量販店向けの物流を押さえることに重点を置いた。

 そして、プラスの19年12月期の連結売上高は前期比5.3%増の1867億円、営業利益は34.7%増の12.9億円、純利益は41.8%増の9.9億円だった。

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