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江川紹子の「事件ウオッチ」第156回

【乳腺外科医事件、高裁で逆転有罪】科学軽視の“だるま落とし判決”が与える衝撃

文=江川紹子/ジャーナリスト
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 しかし、高裁裁判官らが控訴審に臨んで検察・弁護側が双方に示した「裁判所の関心事項」には、病院関係者を含む証言の信用性には触れていない。にもかかわらず、自分では見ていない聞いてもいない(しかも一審裁判官らは「概ね信用できる」とした)病院関係者証言の信用性を貶めたのは、弁護側にとっては、予想もしない不意打ちだった。

 ところが、それでは検察側証人の井原氏の証言と矛盾することになる。それを立て直すためだろう、高裁判決の看護師証言についての評価は、その後、さらに揺れる。

 判決は、A子さんが手術後にしきりに不安を訴える言動を示していた旨の記載がカルテにあることを挙げ、「これらは、せん妄の徴候と見る余地もある」と述べる。そして、「ふざけんな、ぶっ殺してやる」発言が認定できるならば、「せん妄という診断がされ得ることは否定できない」と、せん妄の可能性をよみがえらせた。

 さらに判決を読み進めると、「ふざけんな、ぶっ殺してやる」発言があったことを前提に、「この時点でせん妄状態にあり、幻覚を見ていた可能性は否定できない」とも書いている。そして、このように続く。

「麻酔の影響が抜けきっていないとも考えられるから、いささかその場の状況にふさわしくない言動をしても、不自然、不合理ではないというべきである」

「『ふざけんな、ぶっ殺してやる』との言動は、A子自身記憶がないことに照らしても、幻覚によるものとして矛盾がない」

 それでも判決は、被害証言は「生々しいもの」で、これを「せん妄による幻覚として説明することは困難」として、高い信用性を常に維持させた。

 要するに、せん妄による幻覚の可能性があるとする専門家たちの証言の信用性を落とすために、看護師証言を疑問視するが、検察側証人の井原教授の証言を生かすために、同じ看護師証言を所与の事実のように扱っているのだ。これをご都合主義といわずに、なんと呼べばいいのだろうか。

 高裁判決は、専門家証言に対する評価の仕方も、独特である。

 検察側証人の井原教授について、「せん妄に関する専門の研究者ではないが、せん妄に関する豊富な臨床経験を有している」などと高く評価。せん妄を飲酒酩酊と同様にとらえたことは、「学会において一般的に承認された考え方ではない」と認めつつ、それでも「このことから同医師の証言全般の信用性が損なわれるものではない」と擁護した。

 一方、弁護側証人となった大西教授については、「せん妄に関する専門の研究者」と認めたものの、「その研究分野はがん患者のせん妄や末期治療を中心とするもの」であって、(A子さんとは異なる年齢層の)高齢の患者を多く診ている、とケチをつけた。これは、井原教授が「(A子さんは)若くてピンピンしていて、せん妄準備因子がない人」として大西証言を批判したのに、裁判所が便乗したのだろう。弁護側は「若年のせん妄と老人のせん妄が異なるという医学的知見はない」と反論していたが、裁判所はそれを、格段の理由を示さずに退けた。

 こうして、大西証言は井原証言に比べて「信用性が低い」と断じたうえで、「A子は本件当時せん妄に陥っていたことはないか、仮にせん妄に陥っていたとしても、せん妄に伴う幻覚は生じていなかった」と結論づけた。

 結局、国際的な診断基準に基づく判断よりも、「学会において一般的に承認された考え方ではない」独自の説に、裁判所は軍配を上げたのである。

 専門家証言を吟味し、より信用できると判断した意見に従って、A子さんの証言を分析するのではなく、A子さんの証言を事実として認定することを決めたうえで、それに添う専門家証言を採用した、ということではないのか。

「科学的厳密さ」を軽視した高裁判決

 本件では、A子さんの左胸から採取した微物を調べた警視庁科捜研の鑑定結果も争点になっている。唾液などの付着を調べるアミラーゼ鑑定では、色調の変化で陽性と判定されたが、写真などの客観的な記録は残されていなかった。DNA定量検査についても記録が残されていない。本件では検出したDNAの量が重要であると検察官に告げられた後、技官は残った抽出液を廃棄しており、再検査ができなくなった。さらに、実験ノートに当たるワークシートを鉛筆で記入し、消しゴムで消して書き直した部分が、法廷で明らかになっただけで9カ所あった。

 一審は、こうした点をふまえて、「信用性には一定の疑義がある」「証明力は十分なものとはいえない」とした。

 ところが今回の高裁判決は、鑑定を行った技官が「相応の専門性、技量、実務経験を有し」「あえて虚偽の証言をする実益も必要性もない」などとして、「信用性を否定すべき理由はない」と鑑定結果に高い信用性を与えた。

 客観的な記録がなく、残余抽出液の廃棄で鑑定の検証機会が失われた点などについては、東京高裁の判断は以下の通りだ。

「科学的厳密さを損なうことにはなるが、このことからただちに(技官の)証言の信用性が失われるとはいえない」

「検証可能性の確保が科学的厳密さの上で重要であるとしても、これがないことがただちに本件鑑定書の証明力を減じることにはならないというべき」

 ワークシートの鉛筆書きについても、書き直し部分が「結論に直結」しないとして取り合わなかった。

 要するに、刑事裁判では「科学的厳密さ」は、被害証言に比べて、それほど重要ではないと、高裁は宣言したに等しい。

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