ビジネスジャーナル > 社会ニュース > 親民主派の香港紙創業者が逮捕
NEW
「相馬勝の国際情勢インテリジェンス」

親民主派の香港紙創業者が逮捕、独占インタビュー…中国政府による脅迫行為の実態

文=相馬勝/ジャーナリスト
親民主派の香港紙創業者が逮捕、独占インタビュー…中国政府による脅迫行為の実態の画像1
黎智英氏の逮捕を報じる香港紙・蘋果日報(リンゴ日報)のサイトより

 香港の報道の自由や民主化運動を大きく制限するなど、反政府活動を取り締まる香港国家安全維持法が成立してから40日あまりの8月10日、香港警察は同法違反容疑で香港の民主化運動を主導した香港紙・蘋果日報(リンゴ日報)の創始者、黎智英(ジミー・ライ)氏らを逮捕した。同紙は香港で第2の発行部数を誇り、香港では唯一、反中国色を鮮明にしており、台湾でも発行している。

 ライ氏は香港の民主化運動のバックボーン的存在として知られているが、その民主化運動歴は古く、1989年6月の天安門事件にまでさかのぼる。筆者は2015年5月、ライ氏に単独インタビューしたが、「私は何があろうと逃げない」と語り、当局による逮捕を覚悟する言葉を語っていた。そのときのインタビュー内容を振り返ってみたい。

香港のために戦う

――お忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。

ライ 待たせて申し訳なかった。音楽の先生とのランチをちょうど終えたところだ。今朝は音楽のレッスンを受けていて、台湾から2人の音楽の先生が来ていたんだ。じゃあ始めようか。

――雨傘革命(2014年)の動きの後、なぜリンゴ日報の社長を辞任したのか?

ライ なぜかといえば、私が運動の前線(フロンティア)に出てしまったからだろう。運動の中で、前に出すぎてしまった。私のメディアが、私の動きについてきてしまうと、やりすぎになってしまう恐れがあった。メディアの論調が、私の意見そのものになってしまってはいけない。あくまでメディアは「人々の声」であるべきです。社長の言うことにメディアが追随するのは簡単なことです。でも、それをやってはいけない。それが辞任した理由です。私の声は、あくまで私の声でしかありません。メディアは人々のものであり、人々の声であるべきだと考えています。

――あなたはファッション小売チェーン「ジョルダーノ」のオーナーだった。なぜリンゴ日報というメディアを立ち上げることになったのか。

ライ たしかに私はジョルダーノを経営していました。中国に多くの店舗を持っていましたが、そこに天安門事件が起きました。私はそれに巻き込まれていった(※共産党政府を批判し、反共Tシャツを製造した)。政府は圧力をかけ、私の店はどんどん閉鎖に追い込まれてしまった。このままではジョルダーノは死んでしまうと考え、それからというもの、メディアの仕事に取り組むようになった。

――リンゴ日報の社長を辞任しても、メディアへの影響力は残っていると指摘する人もいる。

ライ そんなことはない。私はリンゴ日報のオフィスには行かないし、行っても私のやる仕事はない。もちろん社内の人間は私の存在を気にしているかもしれない。直接的ではない影響はあるかもしれないが、編集部門の責任者は他の人間になっている。

――編集会議にも出ていないのですか?

ライ 出ていません。私の仕事はありません。ネクストメディア(壱伝媒、リンゴ日報の株を保有)でも同様です。

――北京政府があなたを厳しく糾弾していて、あなたはさまざまな脅威を感じていると聞きます。

ライ タダ飯というものはありません(There’s no free lunch、何かを得るには何か犠牲が必要)。代償を払わなければいけない。台所の火に近づく時には、それが熱いとわかっている。近づく前からわかっていることです。だから、驚くことはありません。極めて当然のことだと受け止めています。中国政府に異を唱えれば、中国政府から脅威を与えられるのは当たり前でしょう。彼らは私を止めようとする。当たり前のことです。

――噂では、香港を去ろうとしているのではないかともいわれる。

ライ そんなことはない。私が香港を去るなら、香港のために戦う必要はなくなる。私はビジネスではなく、自分の信じることのために香港で戦っている。もし私が香港から逃げようとしているのであれば、そんな戦いをする意味がないでしょう。

 ――ネクストメディアを売ろうという噂もあります。

ライ あり得ません、絶対に。売ることなんてできませんよ。もし私が会社を売れば、人々は私を大馬鹿者(asshole)と呼ぶでしょう。そうなりたくはないし、子供たちにもそう思われたくない。結局あいつはカネのため、ビジネスのために政府批判をやっていたといわれてしまいます。私は正義のため、自由のために戦いたいのです。

――北京政府との戦いということですか。

ライ それがまさに私たちのやってきたことだ。

雨傘運動の炎は消えない

――来月(2015年6月)、議会での改革案の採決がある。どうみるか。

ライ あれは偽の改革だ。私たちにとって受け入れがたいもので、真の政治改革ではない。これを受け入れてしまえば、この地に真の民主主義が訪れることはありません。(長官の)候補が決められている状況で、人々はどうやって投票先を選ぶのですか。結婚相手の候補が勝手に決められているようなものです。「選びたい花嫁が(この中には)いない!」となるのは当然でしょう。

――改革案は可決されない?

ライ しないと思います。可決したとしても、人々は受け入れない。人々は戦い続けるでしょう。なぜなら公正な改革ではないからです。何人も私たちの権利を盗むことはできません。その権利は基本法(basic law)で認められたものです。誰であっても、私たちの自由を盗むことはできません。人々は決して受け入れない。

――雨傘運動が再び盛り上がるのか。

ライ 私たちが正当な権利を得られなければ、そうした動きは何度でも戻ってきます。彼らの多くは若者です。香港が返還された時、まだ年端もない子供だった世代の人たちです。彼らは昔(英国統治時代?)を知らない。共産党政権下しか知らない。それでも、国際的な反応をもとに「自由とは何か」を知りました。彼らは知っています。何が正しくて、何が間違っているかを。

――我々も現場を取材した。現場に残って寝泊まりをしている若者は、また運動が盛り上がる日が来ると言っていた。

ライ 私もそう思います。若者たちは諦めません。彼らはとても若い。20歳、25歳の若者がいます。大きな波は必ずもう一度やってくる。

――一方で、日本人のビジネスパーソンは、デモが盛り上がるとビジネスに支障をきたすことを心配している。

ライ そうした声があるのは承知しています。多くのビジネスパーソンは、混乱がビジネスに与える影響を気にしている。しかし、同時に彼らにもわかってもらいたい。「人はパンのみにて生くるにあらず(we just don’t live for bread)」という言葉が聖書にあります。私たちはお金のためだけに生きているわけじゃない。お金よりも大事なものがある。それは自由だ。それは尊厳だ。私たちは自由のために戦っているだけです。尊厳のために戦っているだけです。確かに、お金は大切でしょう。しかし、私たちには尊厳も自由も必要です。それが人間なのです。お金のためだけに生きるような「貧しさ」があってはなりません。そんな状況こそが「真の貧困」だと思います。お金以外何もない、という暮らしほど貧しいものはありません。

――率直に聞きますが、あなたが米政府の援助を受けていると指摘する人もいます。

ライ 絶対にあり得ない。そうした批判する人は、私をエージェントか何かに仕立て上げたいのです。しかし、彼らは私の生い立ちや来歴を知っているはずです。私は12歳の時に中国大陸からこの地にやってきました。工場で働き、身を立てました。どこにも謎は残っていないはずです。私のお金は、私のビジネスで稼いだものです。彼らは私のビジネスを調べ上げているから、そのことを知っているはずです。

 この地では誰かが政府に異を唱えると、海外勢力の影響だといわれる。まったくもって馬鹿げたことです。彼らには、私たちが自由のために戦っていることがわからないのでしょうか。米国や欧州が私の背中を押しているだなんて、本当に馬鹿げた考えだ。私たちにだって尊厳はある。人類と同じ価値を共有している人間なんです。米国や欧州、そして日本人と同じように。

ハッキング被害

――ミャンマーでビジネスを展開しているとも聞きました。

ライ もうやりません。正確にいうと、ミャンマーに滞在していたのは事実です。ビジネスの機会をうかがってはいました。しかし、何もしなかった。

――北京政府からは具体的にどのように脅かされたのか。ハッキングを受けていたとも聞く。

ライ ハッキングはたしかにありました。私の会社のサーバーがハッキングに遭い、過去10年以上にわたるすべてのEメール情報が持って行かれました。(所有するメディアに)広告を出さないような動きもあった(advertising embargo)。ほとんどの大企業が、私のメディアには広告を出さない。彼らは中国本土でビジネスをやっているからです。

(北京は)私たちの仕事をより困難なものにしようとする。自宅にモロトフ(火炎瓶)を投げ込まれたこともあります。投げた人間が北京の人間なのかはわかりません。ただ、北京側の意見を支持する人間であることは間違いありません。でも、別に構わない。取り立てて抗議しようとは思わない。

――先ほどここに着いたとき、自宅前でカメラをまわしている人間も見た。

ライ もう3年になります。24時間ずっと監視しているのです。

――一体何者なのか。

ライ オリエンタル・デイリー(東方日報)のリポーターだ。24時間、ここの動きをチェックしている。出ていけば、君たちも写真を撮られるだろう。

――彼らは北京と通じている?

ライ はっきりはわからない。ただ、(オリエンタル・デイリーが)親北京のメディアであることは確かだ。香港政府支持のメディアでもある。

――あなたは中国大陸から12歳のときにここにやってきた。

ライ 55年前のことです。一人で大陸から逃げ出してきました。(泳いでではなく)漁船の底に潜んで渡ってきました。

――なぜ香港に?

ライ 香港には自由があったからです。大陸にはそれがなかった。私は子供の時に鉄道の駅で働いていました。9歳の時に、駅で乗客の荷物を運ぶ仕事を始めました。だから「外の世界」がどうなっているかがわかったのです。電車からたくさんの外国人が降りてくる。香港から、マカオから、そしてそれ以外の海外からも。中国人でも、彼らはまったく違って見えた。外の世界には自由と尊厳があるのだとわかりました。だから、香港で暮らしていくことを選んだ。12歳のときです。

――挑戦者の精神があった。今もその精神を持っていますか。

ライ 持っているからこそ、私は今やっていることをやっているのです。

――香港と日本の若者に、何かメッセージはありますか。

ライ 現代では、金を稼ぐことに重点を置きすぎています。ビジネスやキャリアを重視する、それは重要なことです。ただし、私たちは人間としての尊厳も保たなければならない。自分自身に誇りを持たなければなりません。正しいことをする。お金のためだけでなく、社会のために。悪に立ち向かうことが、人間としての使命だ。正しくないことと戦わなくてはいけない。お金のためだけの人生は無意味です。お金だけで人は幸せにはなれない。よく生きることで、初めて幸せになれる。

 なぜ中国がこんなに酷い状況に置かれているか。良い人が尊敬されていないからだ。日本や米国では、お金がなくても、正しく生きている人が尊敬されている。先日、フランスのパリに行ったときも、教会で貧しくとも良く生き、尊敬されている人を目にしました。中国社会のように、良い人が尊敬されない社会では、良い人は生まれない。良い人がいない国を想像してみてください。なんとひどい社会でしょうか。人々はこのことを真剣に考えなくてはいけない。

――日本人は何をすればいいのか。

ライ 何でもいい。とにかく世界の人がやるべきは、香港の状況をレポートすることだ。世界中の人に、この地でどんな不正義がなされているかを知らせることが大切だ。なぜ香港の人たちが戦っているのか。それを知らせてくれれば、大きな支えになる。

香港に民主主義を認めるべき

――中国と香港の関係はどうなるのか。

ライ わからないが、解決に向かう道はある。雨傘運動が起きる前までは、問題は隠されていた。しかし、今は問題は俎上に載せられている。これを解決に向かわせなければ、香港は統治不能な状況に陥るだろう。

――香港の未来は暗いという人もいます。

ライ そうとは限らないでしょう。戦いは激しくなるかもしれません。ただ、中国は世界で一番強い国になろうとしています。その国のトップが独裁者でいいのでしょうか。必ず周辺国との緊張を生みます。すべての国が、独裁者の国を信頼しません。ただ、香港に民主主義を認めれば、状況は少し変わるでしょう。中国が自由主義化しようとしていることが示せれば、国内外でもう少し緊張が緩和される。それによって中国が得るものは大きいはずです。

――習近平(中国国家主席)はどんな人間だと分析しているのか。

ライ やっていることは決して間違っているとはいえない。腐敗と戦い、トラと戦っている。中国を変えるために、西欧からの懸念を払拭するためにやっているのだろう。腐敗やトラをそのままにしていては、国家を自由主義化できませんから。先のことはもちろんわかりません。習近平は力を持っている。その力をもって、この先正しいことをやるかはわからない。今やっていることが、独裁者として力を持つためにやっていることなのか、中国を自由主義化するためにやっているのか、それはわからない。まだ注視していく必要がある。

――彼は独裁者でしょう。毛沢東のような。

ライ もし習が毛のようになりたいと思っているなら、彼は失望することになるでしょう。もはや毛が力を得た時代の人民とは違います。毛沢東が10倍の力を持って現代に生まれ変わったとしても、もう一度独裁者になることは無理でしょう。人々はそれほど馬鹿ではありません。習もそこまで馬鹿ではないでしょう。

――トウ小平はどうですか?

 ライ トウ小平は中国に開放路線をもたらした。そのことは評価する必要があります。市場を開きました。それができたのだから、政治も開けたはずです。でも、今もって政治の世界では何も変化がありません。その変化を習がもたらすのか。それはまだわかりません。

――日本ではどんな仕事を?

ライ アニメーションの仕事をするために、よく訪れています。紙の漫画をスマートフォンで読めるようにするようなビジネスです。

――火焔瓶を投げ込まれ、家族が怖がったりはしないのか。

ライ みんなもう慣れました。いつもそうしたことが起きていますから。先ほどもいったように、フリーランチはありません。気持ちを強く持って、一緒にやり遂げようとしています。それが家族というものです。

香港メディアにはたらく自己規制

 人口750万人の香港でリンゴ日報の発行部数は現在、約10万部。ネット版の購読者数は約61万人と香港紙のネット版のなかで最大の購読者数を誇っている。しかし、ライ氏は雨傘運動終了後、再びグループ会長の辞任を決意した。

「私が運動の前面に出すぎてしまい、リンゴ日報など私のメディアの論調が私の意見に追随するようになったからだ。メディアは民衆のものであり、民衆の声を代弁すべきだ」

 ライ氏はこう強調するが、香港ジャーナリスト協会の岑倚蘭会長は「香港の新聞、テレビなどメディアのオーナーの90%が中国大陸でなんからのビジネスに関わっている。このため、中国系紙でなくとも、中国政府を意識し、報道では自己規制が働いている」と指摘し、リンゴ日報もライ氏がトップのままでは、ビジネス的に成り立たない状況に追い込まれつつあったとの見方を示唆した。実際、ライ氏が14年12月、グループの会長辞任を発表すると、同社の株価が大幅に上昇したことが、岑氏の見方を裏付けているようだ。

 岑会長は「習近平指導部が発足した12年以降、報道への嫌がらせは度を超している」とも憤る。その言葉を身をもって感じていたのはライ氏だったろう。

 ライ氏へのインタビューが終わって、邸宅から辞去する直前、筆者はライ氏に対して、最後の質問をした。

「逮捕されるかもしれないのに、まだ香港にとどまっているのですか。台湾でもリンゴ日報は発行されていますよね?」

「香港を去って、台湾にいたほうが安全なのはわかっている。しかし、私が香港を去ったら、一生後悔するだろう。私は常に逃げない。それが私の生き方なのだ」

 ライ氏は笑みを浮かべてこう答えた、その言葉通り、ライ氏は香港から離れず、自ら逮捕される道を選んだといえるかもしれない。

(文=相馬勝/ジャーナリスト)

相馬勝/ジャーナリスト

相馬勝/ジャーナリスト

1956年、青森県生まれ。東京外国語大学中国学科卒業。産経新聞外信部記者、次長、香港支局長、米ジョージワシントン大学東アジア研究所でフルブライト研究員、米ハーバード大学でニーマン特別ジャーナリズム研究員を経て、2010年6月末で産経新聞社を退社し現在ジャーナリスト。著書は「中国共産党に消された人々」(小学館刊=小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞作品)、「中国軍300万人次の戦争」(講談社)、「ハーバード大学で日本はこう教えられている」(新潮社刊)、「習近平の『反日計画』―中国『機密文書』に記された危険な野望」(小学館刊)など多数。

親民主派の香港紙創業者が逮捕、独占インタビュー…中国政府による脅迫行為の実態のページです。ビジネスジャーナルは、社会、, , , の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!

RANKING

23:30更新
  • 社会
  • ビジネス
  • 総合