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江川紹子の「事件ウオッチ」第158回

【戦後75年】日本が取り組むべき残された「宿題」…朝鮮半島出身の元BC級戦犯に補償を

文=江川紹子/ジャーナリスト
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 そうした行為が、戦後、罪に問われることになった。捕虜虐待の容疑で拘束され、一度は釈放されたものの、再逮捕。「責任は私にある」として、裁判で証言してくれることになっていた日本人の上官は、裁判の前に死刑が執行されてしまった。李さんは、十分な打ち合わせもできないまま行われた裁判で、絞首刑を言い渡された。その後シンガポールのチャンギ刑務所で、死刑囚として収監。8カ月の間に多くの死刑囚を見送り、最後のひとりとなった後、突然「懲役20年への減刑」となる。

 1951年に日本人戦犯が順次送還され、李さんも8月に横浜に上陸。朝鮮戦争特需に沸く日本に、初めて「帰国」し、スガモ・プリズンに収容された。

 翌1952年4月にサンフランシスコ平和条約が発効すると、李さんは「日本人」ではなくなった。釈放を求めて裁判を起こしたが、認められなかった。一方、軍人恩給が復活したにもかかわらず、日本国籍を持っていない李さんは対象外とされた。日本人として刑罰を受け続けるのに、援護や補償は日本人ではないからと排除されたのだ。

 仮釈放されたのは1956年10月。仲間とタクシー会社を設立し、補償を求めて運動を始めた。1991年に李さんを含めた7人が、日本国に謝罪と補償を求める国家賠償訴訟を起こした。

 1審の東京地裁は、「国の立法政策に属する問題」として請求を棄却。東京高裁(1998年7月13日)は、控訴は棄却したものの、李さんたちが日本人に比べて「著しい不利益を受けていること」を認め、「適切な立法措置がとられるのが望ましい」「国政関与者において、この問題の早期解決を図るため適切な立法措置を講じることが期待される」と付言した。

 最高裁判決(1999年12月20日)も、請求は退け、「立法府の裁量的判断にゆだねられたものと解するのが相当である」とした。李さんらの被害については、最高裁でも「半ば強制的に俘虜監視員に応募させられ……有無期及び極刑に処せられ、深刻かつ甚大な犠牲ないし損害を被った」として、その深刻さを認めている。

 以後、李さんたちは国会での立法を求める運動を展開した。2008年には民主党が特別給付金の支給を柱とする法案を衆議院に提出したが、審議未了で廃案となった。2016年には、超党派の日韓議員連盟で、1人260万円の特別給付金を出す法案をまとめたが、いまだに国会提出されないままだ。

 最高裁から「宿題」を与えられて20年以上が経つ。今なお立法措置がとられていないのは、いくらなんでも時間がかかりすぎだし、国家として無責任ではないか。

 これまで運動を引っ張ってきた李さんも、すでに95歳。時間はもう、あまり残されていない。急いで取り組むべき「宿題」だ。(文=江川紹子/ジャーナリスト)

●江川紹子(えがわ・しょうこ)
東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か – 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。

江川紹子ジャーナル www.egawashoko.com、twitter:amneris84、Facebook:shokoeg

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