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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

クラシック音楽、作曲家を死に導く「第9の呪い」…命と引き換えに人生最高傑作を生む?

文=篠崎靖男/指揮者
クラシック音楽、作曲家を死に導く「第9の呪い」…命と引き換えに人生最高傑作を生む?の画像1
グスタフ・マーラー(「Getty Images」より)

交響曲第9番を作曲すると、僕は、もう死んでしまうかもしれない」

 そんなことを考えながら、本当に交響曲第9番を完成したのちに死んでしまったのは、1911年に生涯をウィーンで終えたグスタフ・マーラーです。

 不思議なことに、交響曲第9番を書いたのちに一生涯を終えた作曲家は結構います。今年、生誕250周年を迎えたベートーヴェンも第9番が最後の交響曲ですし、チェコを代表する作曲家、ドヴォルザークも交響曲第9番『新世界より』以降、交響曲は書かずに生涯を終えたのです。ロマン派交響曲作曲家の巨匠、ブルックナーは第9番を作曲していたものの、最終楽章をかけずに亡くなってしまいましたが、死の床で「僕が以前書いたテ・デウムを最終楽章にしてほしい」と遺言を残したので、やはり第9番を完成させて亡くなったことになります。

 この先人たちのあまりにも不思議な不幸の一致に、「第9の呪い」と本気で考えていたマーラーは、交響曲第8番を作曲したのち、第9番という死の番号を逃れるために次の交響曲を『大地の歌』と名づけ、番号をつけずに作曲したほど恐れていたのです。

 ちなみに、この『大地の歌』は2人の歌手によって歌われ、大規模なオーケストラによるマーラー傑作中の傑作ですが、歌詞は中国・唐時代の詩人、李白、銭起、孟浩然の詩を使っています。20世紀を迎えたばかりのヨーロッパでは、東洋ブームが訪れていました。それは、当時パリやウィーンで開かれていた万国博覧会の影響も大きかったと思いますが、人々が、東方の文化に触れる機会が多くなっていたことが関係しています。

 そんななか、ドイツのハンス・ベートゲが中国詩人の詩を選び、翻訳した歌集「中国の笛」が大ヒットし、マーラーはこれまでのヨーロッパにない、東アジア的な厭世主義思想に大きく惹きつけられたのです。

 さて、第9番を避けて『大地の歌』を書いたマーラーですが、次はいよいよ第9番を作曲することになりました。しかし、やはり彼の悪い予感が当たったのか、完成後、初演を聴くこともなく心臓病でこの世を去ってしまったのです。今となれば、『大地の歌』を交響曲第9番としておけば、第10番も作曲したことになるのですが、奇しくもマーラーは自分自身で「第9の呪い」を証明してしまったわけです。

 ほかにも、第9番が最後になってしまった作曲家は結構いるので、「第9の呪い」はあながち迷信ではないのかもしれません。そして、もうひとつ気になる番号があります。それは「第7番」です。シューベルトが完成させた交響曲は7つ、フィンランドのシベリウスも7つ、ロシアのチャイコフスキーやプロコフィエフも、なぜか7つの交響曲を作曲したのちに生涯を終えているのです。

なぜか第9番の交響曲が人生最高傑作に

 実際には、モーツァルトは番号がついている交響曲だけでも40曲つくっていますし、“交響曲の父”ハイドンなどは、なんと104曲も交響曲を作曲しています。やはり「第9の呪い」や「第7の疑い」などは、偶然の一致でしょう。

 モーツァルトやハイドンの時代の交響曲は演奏時間も短く、構造的にも複雑ではなく、王侯貴族は自分だけのために新しい交響曲を依頼してくるので、たくさんの交響曲が生まれることになりました。しかし、ベートーヴェン以降の作曲家は、一つひとつの交響曲に膨大な時間をかけながら番号を刻んでいったので、第7番や第9番を作曲している頃は、もう年齢も高くなっており、体も衰えてくることは確かです。それでも特に「第9の呪い」が有名になったのは、第9番を最後に生涯を終えた作曲家の最高傑作が、間違いなく第9番という点が大きいでしょう。

 これには音楽好きな方からは、「僕がマーラーは第6番が最高だと思う」といった異論が噴出すると思いますが、あくまでも一般論です。ベートーヴェンの“第九”や、ドヴォルザークの“第九”などは、メロディーを聴いたことがない人を探すほうが大変だと思います。

 そんななか、「第9の呪い」を避けて第15番まで交響曲を書くことができたのは、20世紀ロシア最大の交響曲作曲家、ショスタコーヴィッチです。ショスタコーヴィッチの第7番、第8番は、演奏時間が1時間を超える超大作だったので、それに続く第9番はロシアで初めての第9であり、後世にも残る最高傑作であろうと、当時の独裁者スターリンをはじめとしたソビエト連邦政府からも大変期待されていました。なぜか、これまでのロシアでは第9番を書いた著名作曲家はいなかったのです。

 しかも、時期的に第二次世界大戦の勝利を祝う交響曲であるとして、勝手にソ連の威信をかけられた交響曲第9番の初演は、舞台に出てきた楽員は数少なく、30分もかからずに終わってしまいます。曲自体も軽快で派手な部分が少なく、当局の期待を裏切ってしまいました。スターリンにとっては、音楽の価値などはどうでもよく、ただソ連のプロバガンダとしか考えていなかったので、カンカンに怒ってしまい糾弾される騒ぎになります。

 とはいえ、これはショスタコーヴィッチにも非があったのです。彼自身が「祖国の勝利と国民の偉大さをたたえる合唱交響曲を制作中である」と、期待をあおるような発言をしていたからです。

 実際に、この交響曲は素晴らしい価値を持っていますが、“ショスタコーヴィッチ最大の交響曲”とはいわれていません。そんな第9番をサッサと書いて厄落としができたのかどうかはわかりませんが、その後の彼は第15番まで交響曲を作曲して、70歳の誕生日を1カ月後に控えて、充実した生涯を終えることになりました。

「第9の呪い」も「第7番の疑い」も、単なる偶然に違いないでしょう。ベートーヴェン以来最大の交響曲作曲家ブラームスは、4曲しか交響曲を書いていません。ブラームスは交響曲の巨匠ベートーヴェンを尊敬するあまり、交響曲第1番の作曲には21年もの月日を費やし、完成させたのは43歳だったのです。9つの交響曲を書くほどの寿命は残っていませんでした。

 ちなみに、ブラームスはあれだけ有名な作曲家にもかかわらず、作曲したオーケストラのための小品も5つしかありません。4つの交響曲と合わせると、またもや「9」という数字が出てきます。
(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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