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佐藤信之「交通、再考」

東京メトロ、幻の有楽町線北上線…都内で許可申請済みなのに実現していない唯一の路線

文=佐藤信之/交通評論家、亜細亜大学講師
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 続いて昭和60年7月11日の運輸政策審議会答申第7号では、半蔵門線錦糸町・押上経由 松戸までが新規に登載。途中住吉~四ツ木間は8号・有楽町線北上線と線路を共用する現在の計画に変わる。

 なお、千葉県は、半蔵門線を松戸で新京成に線路を接続し、さらに京成千葉線を経由して、建設中の千葉急行電鉄に直通することを要望したが、京成が標準軌であるのに対して半蔵門線はJR在来線と同じ狭軌であるので、検討の対象にはならなかった。京成の側も、別に新京成を金町まで延伸して京成金町線につなぐ計画を持っていた。

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通勤新幹線

途絶えた「常磐新線」東武直通案

 その後、両路線に大きくかかわることになるのが、現在のつくばエクスプレスの起源である「常磐新線」であった。もともと国鉄新線として計画された。

 ここで常磐新線が立案された経緯を整理すると、昭和30年代に東京への人口の集中が続き、社会インフラの不足もあって都心部が過密化して混乱した。これを是正するために政府の機能の移転が検討され、昭和38年に研究機関の筑波山麓への移転の閣議了解となる。あわせて都心にあった東京教育大学も移転して筑波大学となったことで、開発名称も「筑波研究学園都市」となる。

 そして、研究学園都市と都心とを結ぶ高速鉄道の建設が構想された。昭和43年11月の「国鉄財政再建推進鍵会議記録」という国鉄の内部資料に、「首都圏超高速鉄道網」として新宿~筑波学園都市~水戸間のルートが記載されている。この計画には成田新幹線や東北新幹線、上越新幹線の近郊区間も含まれているが、新幹線計画自体が沿線からの反対などで停滞し、結局、成田新幹線の建設は中止になるなどして、いずれも実現しなかった。それに代わって、茨城県が昭和53年に「第二常磐線」構想を発表、昭和62年4月には第4次全国総合開発計画で、常磐新線の新設が国策として盛り込まることになる。

 平成元年に、鉄道と区画整理事業を組み合わせて鉄道整備用地を用意するという新法を成立させ、同年3月に沿線自体が出資する第三セクター「首都圏新都市鉄道」が設立された。当初は、この第三セクターは建設を担当し、運行はJR東日本に任される計画であったが、平成2年にJR東日本が正式にこれを断ることで、ルートを含めて一時混乱することになった。建設費用が巨額となるため、民営化から間もないJR東日本には荷が重いということであった。

 そこで、建設費を削減するための代案として、平成2年1月に運輸省が提示したのが、常磐新線の南流山から松戸まで支線を建設して、松戸で営団半蔵門線と直通するというものであった。常磐新線は、JR東日本による経営はなくなり、第三セクターが直営することで決定した。さらに半蔵門線との直通も、常磐新線の沿線自治体の反対で消えた。南流山からの都心方向の沿線は、新線の整備が白紙になりかねないことに危機感を感じたのである。そして、最終的に原案通り、平成3年10月に現行路線の秋葉原~つくば間の第一種鉄道事業免許を申請して、翌年1月10日に免許を取得した。

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