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『麒麟がくる』明智光秀の旧主・土岐頼芸の曽孫は、忠臣蔵で「殿中でござる」と叫ぶアノ男

文=菊地浩之
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明智光秀の旧主・土岐頼芸は、美濃追放後どうなった?

 さて、『麒麟がくる』の主人公・明智光秀(長谷川博己)の旧主・美濃守護(みのしゅご)の土岐(とき)家も、のちに江戸幕府の高家になっている。美濃守護・土岐頼芸(よりのり[よりなり、よりあき]ともいう:『麒麟がくる』では尾美としのり)が斎藤道三(本木雅弘)によって美濃から追放されてしまうところまでは、『麒麟がくる』でも放映された。

 頼芸は、妻の義甥にあたる朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)を頼って越前(福井県)に逃げ落ちた。ところが、優柔不断で厄介ごとを嫌う義景は、頼芸の亡命を許さず、頼芸は上総国(千葉県)に逃げのびる。

 斎藤家が織田信長(染谷将太)によって滅ぼされると、信長に転仕した稲葉一鉄(いなば・いってつ/村田雄浩)は、旧主・頼芸を美濃に迎えた。本能寺の変の半年後、頼芸は82歳の天寿をまっとうしたという。

『麒麟がくる』明智光秀の旧主・土岐頼芸の曽孫は、忠臣蔵で「殿中でござる」と叫ぶアノ男の画像3
名門・土岐家の家系図。系図中央に見える土岐頼芸の曽孫・頼照が、「殿中でござる!」の梶川頼照である。

明智光秀の旧主の曽孫は、あの忠臣蔵の関係者?

 頼芸の嫡子・土岐頼次(よりつぐ)は、松永久秀(吉田鋼太郎)、豊臣秀吉(佐々木蔵之介)を経て、徳川家康(風間俊介)に仕え、江戸の世になって旗本となった。頼次の子・土岐頼勝(よりかつ)は1000石を領し、高家(こうけ)に列した。

 つまりは、名門の家柄なので高級旗本として遇してあげるから、儀式・礼典でがんばってください、ということだったんだろう(斬りつけられない程度にね)。ところが、頼勝の曽孫・土岐頼泰(よりやす)が、こともあろうに酔っ払って通行人を傷つけた(斬りつけちまった?)ので改易されてしまう。高家の座は、一族の土岐頼元(よりもと)の子孫が引き継いだ。

 ちなみに、吉良義央を斬りつけた浅野内匠頭長矩(あさの・たくみのかみ・ながのり)を、「殿中でござる。殿中でござる」と叫んで組み伏せた梶川与惣兵衛頼照(かじかわ・よそべえ・よりてる)は、土岐頼芸の曽孫なのだ。

 頼勝の弟・土岐頼泰の娘が梶川家に嫁いでいたのだが、跡継ぎに恵まれなかったので、娘の弟の頼照が養子に行ったのだ。よくよく考えてみると、頼照の頼の字は、土岐頼芸をはじめとする土岐家が名前によく使う字(通字という)だったりする。

 ちなみに、梶川家は織田家の支流と称し、桶狭間の合戦では中島砦に立て籠もって恩賞をもらっている。その桶狭間の合戦で今川義元が討ち死にした後……。ん。デジャブか?(最初に戻る)

(文=菊地浩之)

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●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)など多数。

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