『蝶々夫人』は人種差別のオペラ
ところで、プッチーニの『蝶々夫人』は、単刀直入に言ってしまえば人種差別の話です。アメリカ人劇作家、ジョン・ルーサー・ロングの短編小説を基にしており、舞台は1904(明治37)年の長崎です。長崎港に派遣されてきたアメリカ海軍士官のピンカートンが、大村藩の没落藩士令嬢である15歳の少女、蝶々さんを紹介されて結婚します。ピンカートンが長崎に駐在している3年間は、蝶々さんにとっては幸せな結婚生活の時間でした。2人は子供をもうけますが、その後、ピンカートンはアメリカに帰国してしまい、アメリカ人の奥さんと正式に結婚してしまうのです。
つまり、蝶々さんは“結婚斡旋屋”によって騙されてアメリカ人の日本での現地妻とされ、子供まで生んだ挙句に捨てられてしまうというストーリーです。そして数年後、「まさか、待っていることはないだろう」と、気楽にアメリカ人の新妻と長崎に立ち寄ったピンカートンの前で自害をしてしまうという、ひどい話です。しかし、プッチーニの美しい音楽がそれを忘れさせ、蝶々さんの儚くも短い人生に涙が止まらなくなります。
一方で、日本人の僕は、やはりどこか引っかかってしまいます。
最近、アメリカでは人種差別問題が噴出し、ヨーロッパまで反対運動が広まっています。実は、18、19世紀に大発展した芸術であるオペラには、現在ではありえない物語が多いのです。まずは女性差別がひどいです。あのモーツァルトでさえ、オペラ『女はみんなこうしたもの』のなかでは、2組の婚約者カップルの男性側が賭けをして、お互いの婚約者女性を口説いてモノにした挙句、最後に「女はみんなこうしたもの」と歌い上げる場面もあります。女性にとってはたまったものではありません。
人種差別もひどいもので、最高傑作『魔笛』では、白人は善、黒人は悪に仕立て上げられています。しかも、その黒人の召使はアリアのなかで「俺だけはだめだよ。この黒い肌で醜い姿だ。だけど俺にも心もあるし、血も流れている」などと、今のアメリカでこんなことを言ったら大変なことになるような歌詞を歌うのです。とはいえ、モーツァルトのつくった歌詞を変えることはできないので、どこの歌劇場も、観客も、目をつぶっているのです。