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『薔薇族』創刊号復刻連載 vol.3

伊藤文學が語る~長生きするのも寂しいことだ

伊藤文學
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薔薇族創刊号

 ぼくの姉は新宿の文化服装学院の師範科へ通っていて、その友人が近所に下宿していた。その友人の古里は宮城県の黒沢尻(今は北上と言うらしい)の出身で、実家は大きな金物や農機具を販売しているお金持ちで妹3人と弟ひとりがいた。

 妹をカメラマンの橋本さんと迎えに行ったとき、橋本さんに妹をあずけて、姉の友人の家を訪ねてしまった。

 ぼくのことを歓迎してくれて、大きな家に泊まらせてくれた。一番下の妹さん、よっちゃんは19歳くらいだったろうか、東京の洋裁学校に通っていて、渋谷にアパートを借りていた。

 よっちゃんと仲良しになってしまった。北上川でボートに乗って遊んだ。手などを握ったこともなかったが、よっちゃんはかわいい子だった。

 東京に戻ってからも渋谷で何度もデートした。しかし、列車の中で出逢い強烈な印象を受けた体育大学の女性に、もらった名刺の宛先に逢いたいという手紙を送ってしまった。

 何日かして電話がかかってきた。列車の中で出逢った体育大の女性だった。

 養父に殴られてから、恋の炎は燃え上がった。明大前からわが家まで30分もかからないので、休講だったりすると電話がかかってきて、下北沢の駅で出逢った。一日に何度も逢ったことがあった。

 池袋の家にも通った。君子が養父が埼玉に帰った時に泊まりに行くと親子丼を作ってくれた。あんなおいしい親子丼を食べたことはなかった。

 ある日、養父母がわが家を訪ねてきた。二人の仲は離れられないとみて、僕を養子にもらいたいと言うのだ。

 わが家は男ひとり、それに第二書房は社員がいない。ぼくだけだ。当然父は断ったと思う。

 養父母はあきらめたのか、籍を実家に戻してしまった。体育大の2年生の時だっただろうか。

 養父母の家を追い出され、とりあえず実家に帰らざるを得ない君子を上の駅まで送って、なんでもいいからわが家に来いと言って別れた。

 給料無しのぼくだから生活力はない。果たして君子はわが家に来るだろうか。

 養父母は君子に着ていた衣類などすべてを取り上げてしまって、スーツケース一つを抱えて、わが家に飛び込んできてしまった。

 ぼくの両親は何にも言わずに受け入れてくれた。わが家の2階は6畳一間だった。そこに姉と妹二人が寝泊まりしていた。そこへ飛び込んできてしまった。

 田舎の母親が布団を作って送ってくれた。まもなく姉と妹は結婚して家を出て行ったので、残るは末っ子の妹一人だけだった。

 ぼくは6畳の応接間の本の間に布団を敷いて寝ていた。なんとみじめな新婚生活だ。

 君子は籍を入れるまでは、絶対に最後までは許さなかった。籍を入れての新婚初夜のことなど全く覚えていない。

 今でも埼玉の実夫には感謝している。お米を作る農家で毎月収入があるわけがないのに、体育大をそつぎょうして、教師として就職するまで、毎月現金書留で1万円を送ってくれた。

 その頃、正規の保健、体育の区立の中学に就職するのは至難の業だった。就職難の時代だったのだ。

 君子は履歴書をもって、中学の校長のところを訪ね歩いた。幸運なことにぼくの祖父の妹の息子が世田谷区立の三宿中学の校長をしていたので、その校長の世話で、就職することができた。

 日本女子体育大学の教務課に報告に行ったら、卒業生で初めての正規の教員の就職だったので、喜んでくれたそうだ。

 以前、その頃、学生結婚などしている学生はいなかったので、君子は教務課に呼び出されたことがあったが訳を話したら理解してくれたという。

 最初の就職先は世田谷区立の池尻中学(現在は廃校になっている)だった。歩いて20分ほどのところだが、スクーターのお尻に乗せて学校近くまで送っていったが、淡島の近くに住んでいた校長がよく同じ道を歩いていた。

 その頃の君子の給料はいくらもらっていたのかは知らないが、何か月か経ってからお金を貯めて結婚式を挙げることになった。

 飯田橋の東京大神官に、世田谷学園の国語の教師をしていた三田先生が、国学院大学出なので神主をしていた。この先生がぼくのことを可愛がってくれていたので、お願いしたら特別サービスで式を挙げることができた。

 仲人は学生時代に短歌界でお世話になった歌人の山下陸奥ご夫妻だ。

 とんでもない親父で、一銭もお金を出さないくせに、にこにこ出席したのだから。30人ほどお客さんを招いたが、食事など出せず、ワインとケーキだけのわびしい結婚式だ。

 当時の写真を見ると、大手の取次店(本の問屋)のトーハン仕入課長(のちに社長までなった人だ)さんと何人かの取次店の人たちも出席してくれている。

「令和」の名付親、中西進さん、国学院大学の教授になった親友の阿部征路君も。

 東京大神官の領収書が残っているが、なんと44,846円だ。三田先生に感謝だ。

 友人たちを招けなかったので、のちに東大出の中西進さんの紹介で学士会館で会費400円で賑やかに結婚を祝う会を開くことができた。

 君子の洋服は「有楽町で会いましょう」の有名な作詞家、佐伯孝夫さんの娘のうばらさんが作ってくれた。当時の写真を見ると、ほとんどの友人はこの世にいない。ぼくだけだよたよた老人になって生き残っているとは。

 長生きすることは寂しいことだ。
(文=伊藤文學)

伊藤文學

伊藤文學

 日本初の商業同性愛雑誌『薔薇族』創刊者・編集長。同誌において、編集長を40年間務める。
 『薔薇族』の刊行により、全国の書店に置くことで日本国内において「同性愛者の存在を可視化」させる。また、読者座談会やカフェ開業など交流の場を設け、同性愛者のコミュニティ作りに尽力。

Twitter:@barazoku_ito

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