こうした経験からも今回、谷川は「藤井二冠がそんな思いをしたり、先に来て遠慮して下座に座らせてはならない」と、藤井より早く到着して下座に座っていたはずだ。

降級直後でも応じた取材

 2014年春、谷川が長年君臨したA級からB1級に降級した時、筆者は「サンデー毎日」誌上で谷川にロングインタビューをした。谷川は気分がいいはずもなかったが、知人でもない筆者の取材に快く応じてくれ、正直、驚いてしまった。谷川に気兼ねしてそんな申し出を控えていたであろう観戦記者たちも、記事を見て驚いたかもしれない。「無知のなせる業」ではあったが、今も感謝している。

 インタビューでは「中原誠さんから奪取しようと対策を取っていたら、名人が加藤さんになって驚いた」「阪神大震災直後、羽生さんに勝って七冠を阻止し、少しでも被災者を励ませたかな」「七冠を許してしまい、カメラマンたちが私の後ろから羽生さんを撮りまくって悔しかった」などの思い出を丁寧に話してくれた。

 かつて米長邦雄九段(故人)が「兄たちは馬鹿だから東大に行った、私は賢いから棋士になった」と言ったという話題を向けると、谷川は「あれって私が言ったように思う人がいて困るんですよ」と笑った。谷川の兄も東大卒だが、谷川はそんなことを言う性格ではない。

 16年、三浦弘行九段の「スマホカンニング騒動」は調査で「白」となったが、日本将棋連盟の会長だった谷川は出場停止処分を早まってしまい、三浦に謝罪、辞任した。想定外の事態に苦しむ様子は気の毒だった。 

谷川から学ぶ藤井

 話を戻す。この日の谷川・藤井戦の取材を筆者は楽しみにしていたが、取材人数の制限があり、取材できるのは主催者(朝日新聞社と毎日新聞社)やAbemaTVだけだった。最近は、新型コロナ対策で取材は記者会見だけとなり、対局室に入れないことが多い。入れた時は藤井の取材などは押し合いへし合いで大変だったから楽になった面もあった。しかし、将棋の面白さは盤面だけではない、対局室での上座下座をめぐる場面なども見たかった。

 大山名人のように69歳で亡くなるまでA級から落ちなかった「化け物」は別として、中原誠十六世名人と、羽生世代の永世名人資格者、森内俊之九段は、降級後は順位戦には参加せずフリークラスになった。だが連盟会長まで務めた谷川は、還暦近い今も現役として戦い続ける。一方、勝った藤井が今後、目指す最大のテーマが谷川の持つ「最年少名人」である。目指す相手と対戦して、将棋以外のことを谷川から学んでくれただろうか。谷川はこう言うかもしれない。「たまたま私が先に入室しただけですよ」と。

(文=粟野仁雄/ジャーナリスト)

RANKING
  • ジャーナリズム
  • ビジネス
  • 総合

関連記事