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山口組分裂が生んだ悲劇か…絆會・金澤成樹若頭が慕い合う組長を銃撃した背景とは?

文=沖田臥竜/作家
【続報】六代目分裂問題生んだ悲劇か…絆會若頭が慕い合う竹内組組長を銃撃した背景とは?の画像1
現在は絆會で若頭を務める金澤成樹会長(一番左)

 既報の通り、絆會のナンバー2である金澤成樹会長が、竹内組の宮下聡組長を銃撃し、逃走している事件は業界内外に大きな衝撃と波紋を呼んでいる【参考記事「竹内組組長を絆會若頭が銃撃」】。かつては、同じ組織で、厚い信頼関係にあったはずの2人の間に何があったのか――。作家・沖田臥竜氏が緊急寄稿。

「山健組の竹内組あり」と言われた組織の三代目と四代目

 山口組分裂当初、六代目山口組神戸山口組の衝突の舞台として火蓋を斬ったのは、兵庫でも大阪でもはたまた東京でもなく、意外なことに長野県であった。

 この長野県を舞台に、六代目山口組系組織と神戸山口組系組織(当時)が、何度も激しくぶつかり合い、火花を散らし合ったのだ。

 その最前線で、六代目山口組系武闘派組織と戦い続けたのが、当時、神戸山口組の中核組織、四代目山健組に属していた金澤成樹会長率いる三代目竹内組であった。

 竹内組は、六代目山口組サイドの幾度とない猛攻にも真っ正面から立ち向かい、何人もの逮捕者を出しながら、ついにはその攻撃をしのいでみせたのだ。この戦いぶりが、神戸山口組を勢いづかせ、「山健組に竹内組あり」として、全国へとその名を轟かせていくことになる。そんな竹内組の存在があったからこそ、六代目山口組系武闘派組織の力をしてみても、長野県を落としきれなかったのだ。

 しかし時代は流れ、竹内組は、神戸山口組を割って出た絆會(当時は「任俠団体山口組」)組へと参画。さらに、3年前に四代目体制となった竹内組も時代の趨勢には逆らえず、この度、六代目山口組の中枢組織、三代目弘道会傘下の三代目髙山組へと移籍することになったのだった。

 三代目髙山組とは、六代目山口組の最高指揮官ともいわれる髙山清司若頭を初代とする伝統ある組織である。

 その移籍の過程の中で、三代目だった金澤会長と、当代である四代目の宮下聡組長の間で意見が分かれ、今回の発砲事件を招いたのではないだろうか。

「絆會解散撤回」が悲劇の始まりか

 四代目である宮下組長を発砲し、現在も逃走中の金澤会長は、もともと生粋の竹内組組員だったわけではない。業界関係者は、こう説明する。

 「まだ六代目山口組分裂前のこと。織田絆誠会長(絆會会長)が全国の山健組系組織を強化させるために、各地域へと腹心を派遣したことがあった。その一人が金澤会長で、長野県松本市に本拠地を置く竹内組に金澤会長を派遣し、三代目組長に就任させたのだ。本来であったら、いくら本部から派遣されてきた幹部であったとしても、生え抜きの組員たちにとっては、苦楽を共にしてきた間柄ではないため、受け入れる気持ちになるまで、さまざまな問題が生じるものだ。しかし竹内組の場合は違った。金澤会長が三代目組長に就任したことで、逆に組織が活性化され、組織力が一気に増したのだ。金澤会長とはそれほどの逸材だったということだろう」

 その金澤会長を支えた最高幹部の一人が、四代目の宮下組長である。先の関係者が話を続ける。

 「宮下四代目は、金澤会長のことを慕っていたし、金澤会長も宮下組長を信頼していた。だからこそ、四代目を宮下組長に継承したはずだ。だが時代の流れには、抗えなかったのではないだろうか。問題となったのは、絆會が解散する方向で話が進められていたことだったと思われる」

 報道でも取り上げられたが、確かに絆會はこの夏、一時は解散する方向で調整が進められていたといわれている。その際、絆會の最高幹部らは、自身の進退や組織の今後について、さまざまな検討していたようだ。それが急転直下、解散が撤回されることになった。

 結果、解散と同時に引退を考えていた最高幹部らは、解散撤回ののち、絆會を後にしている。その中には、織田会長の生粋の若い衆だった幹部もいたほどであった。しかし、金澤会長は織田会長の意向に従い、新たに組織改革された絆會の若頭に就任するのである。だが宮下組長率いる四代目竹内組は、絆會解散を前提として進められていた三代目髙山組への移籍話へと突き進むことになっていくのだった。

 「その移籍が決定的となった9月28日、金澤会長は3時間もの間、宮下組長と話していたのではないかといわれています。しかし、いくら金澤会長を慕う宮下組長からしても、本部の方針とはいえ、移籍話は相手組織もあってのこと。そうコロコロと意見を変えられる状況ではなかったのではないでしょうか。それは金澤会長も十分に承知の上だったと考えられます。だからこそ、長い時間をかけて宮下組長と話し合っていたのではないでしょうか」(実話誌記者)

 ただ、たとえ組長だとしても、たったひとりの意向で、いったん決まった方向に動き出した組織や多くの人々を、簡単に止めたり、別の方向に向けたりすることはできない。そんなことを繰り返せば、組織の弱体化へと繋がる。どのような状態になっても、組織イコール織田会長の意向に従う金澤会長。金澤会長を慕いながらも、金澤会長から受け継いだ組織の今後のことを考えて、移籍を決断した宮下組長。二人の会話が折り合うことはなかったのだろうか……。

 そして、悲しい銃声が鳴り響くのであった。

織田会長にかける想い

 神戸山口組時代、六代目山口組サイドと熾烈な攻防を極めていた三代目竹内組は、そんな抗争の合間にも、バーベキューを開催させたり、花見を開催させたり、武闘派組織でありながらもアットホームな一面を覗かせていた。そういったイベントに集まる関係者らは、いつも100人を優に超えていたと捜査関係者らですら認識している。その中心にいたのが、金澤会長であったのだ。

 現在も逃走を続ける金澤会長の足取りについては、さまざまに噂されている。事件後、金澤会長をある場所まで送り届けたのではないかと見られる組員も存在するようだ。

 そして、翌29日には、竹内組の事務所がある長野県松本市に、三代目弘道会も入ったといわれている。六代目山口組からしてみれば、分裂騒動開始後、どれだけ攻めても落ちなかった長野県を事実上、ついに陥落させた瞬間といえるのではないだろうか。

 絆會の前身である任侠山口組時代、同組織が劣勢に立たされていた時に、ある大物関係者が、金澤会長にこのように口にしたと言われている。

 「このままでは、任侠は沈んでしまうぞ」

 それは金澤会長の一本気な性格を案じての言葉であった。すると金澤会長はこう答えたと言われている。

 「私は沈むなら、織田会長と一緒に沈みます……」

 この一言に、金澤会長のヤクザとしての生き様すべてが表されているのではないだろうか。

(文=沖田臥竜/作家)

沖田臥竜/作家

沖田臥竜/作家

作家。2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、小説やノンフィクションなど多数の作品を発表。小説『ムショぼけ』(小学館)や小説『インフォーマ』(サイゾー文芸部)はドラマ化もされ話題に。最新刊は『インフォーマ2 ヒット・アンド・アウェイ』(同)。調査やコンサルティングを行う企業の経営者の顔を持つ。

Twitter:@pinlkiai

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