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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

オーケストラで使われる“特殊用語”…指揮者はわずかな言葉だけで世界中で仕事ができる

文=篠崎靖男/指揮者
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「Getty Images」より

「縦を合わせて」「丁寧に」「少しずつ動かして」――、これらの言葉を使っているのは工事現場監督ではなく、オーケストラのリハーサルの時の指揮者です。「固めに」「柔らかめに」と、まるでラーメン店で注文する際のような言葉もよく使います。ほかにも、「この音を抜いて」「方向性を持って」といった表現がありますが、音楽を演奏したことがない方々には、ちんぷんかんぷんだと思います。

「縦を合わせる」というのは、工事現場で建材の縦を合わせるのと、実は似ています。基本的なサイズのオーケストラは12種類くらいの楽器で演奏しますが、これを一緒に演奏するのは、とても至難の業です。

 まず、それぞれの楽器によって音の出るタイミングが違います。大体において、楽器が大きくなればなるほど音の出だしが遅くなるので、大型楽器の楽員は少しだけ早く演奏してタイミングを調整したりするのです。特に打楽器、シンバルや大太鼓などは、叩いてから音が出てくるまでに結構時間がかかります。とはいえ、ほんのゼロコンマ数秒なのですが、そんな短い時間でもずれてしまうと、明らかにわかってしまいます。

 そんな発音の時間が違う楽器が集まっているだけでなく、ひとつの種類の楽器を複数の奏者が演奏しているので、ますます厄介なのです。たとえばヴァイオリンは、2つのパートに分かれて、計20名以上で演奏しています。時には100名にもなるオーケストラが一緒に演奏するのですから、音がずれるのも当然といえます。そんな時、指揮者は「音の出だしを合わせる」という意味で、「縦の線を合わせて」と言うのです。

 確かに、指揮者は工事の現場監督によく似ています。現場監督は釘1本も打たずに、建築デザイナーがつくった創作物である設計図を見ながら、さまざまなスペシャリストである各作業員に指示を出し、そして全体を見渡しながら、ひとつの建築物を完成させる職業です。

 指揮者も同じく、何の音も出しません。そして、建築デザイナーならぬ作曲家がつくったスコア(すべての楽器の音符が一緒に書かれている指揮者用の楽譜)を眺めながら、必要に応じて各楽器奏者に指示を出しながら、音楽の全体像をつくり上げていきます。そんな音楽の現場ですが、もちろん自分より年齢の高い奏者もいますし、長い歴史があってプライドが高いオーケストラを相手にしなくてはならないこともあります。指揮を振りにいったら、自分の音楽大学時代の教授が演奏していて、焦ってしまうこともあります。一方、学生やアマチュアのように、指揮者からたくさんのことを学びたいと、僕の一言一言をしっかりとメモに控えているようなオーケストラもあるので、それに応じて指揮者は仕事のやり方を変えていかなくてはなりません。現場の状況に臨機応変に対応することが求められる工事の現場監督も同じではないかと思います。

極めて特殊な指揮者という仕事

 もうひとつとても似ている点は、納期を守らなくてはならないことでしょう。施工主の現場責任者である現場監督が納期にいい加減だとしたら、建築主である依頼人は怒るどころではないでしょう。もし、依頼人が開店間際の商業施設だとしたら、莫大な宣伝費をかけた開店日に間に合わないことになります。そして、そのしわ寄せは、徹夜の作業で完成日に間に合わせなければならない作業員に降りかかることになります。

オーケストラに納期があるのか」と疑問に思われたかもしれませんが、我々オーケストラの納期というのは、演奏会当日のことです。どんな事情があっても、最高の演奏を観客に届けなくてはならないのですが、その責任者は指揮者です。

 時には難しい曲が並んでいるプログラムで、3日間のリハーサルでも足りないくらいなのに、リハーサル2日目が台風で中止になってしまう場合もあります。ソリストが病気になって満足なリハーサルができなかったとしても、チラシに書かれたプログラムという完成品モデルを見てチケットを購入された観客に、良い演奏を聴かせなくてはなりません。そもそも、プログラムを承諾したのはオーケストラの現場監督である指揮者なので、どんな場合でもその責任は大きいのです。

 逆に、指揮者が工事現場監督と大きく異なるのは、ずっと指揮という動きでオーケストラに指示を出し続けている点です。とはいえ、一小節ずつ細かく指示を出しているわけではなく、リハーサルでお互いを深く理解し合っていれば、音量のバランスを整えたり、少しテンポが重めになってきたとしたら、軽いテンポに調整したりするくらいでよいことも多いのです。もちろん、本番の独特な雰囲気から生まれるものもあるので、特別な指示をすることもありますが、観客席からは、指揮者はずっと指揮をしているので、一番音楽に夢中な人間に見えると思います。確かに夢中なことは夢中なのですが、音はひとつも出していません。そんな不思議な仕事なのです。

 ちなみに、“テンポが重い”というのは、少しのろのろしているということです。「今日は、体が重くて歩くのがのろのろしている」と同じです。軽いというのは、「ダイエットしたので体が軽くなり、走るのが早くなった」と同じです。実は、指揮者は「重く、軽く、早く、速く、遅く、長く、短く、(音を)高く、低く、大きく、小さく、固く、柔らかく、合わせて」といった言葉さえ覚えておけば、どこの国でも大概は仕事ができるのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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