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江川紹子の「事件ウオッチ」第162回

【日本学術会議“任命拒否”】は安倍前首相が仕掛けた“時限爆弾”? 江川紹子の考察

文=江川紹子/ジャーナリスト
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 そんな最中の2017年3月、学術会議は「軍事的安全保障研究に関する声明」を発表。「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」などとする、過去の声明を継承することを明らかにした。

 この声明には、法的拘束力はない。しかし同年3月10日付け産経新聞は、社説で「日本を守るための軍事科学研究を行おうとしても、大学の審査制度が一律にこれを妨げる方向で運用される恐れさえある」として、学術会議の対応を「国の平和、国民の安全を追求する戦略や計画の意義を一顧だにしない姿勢」などと批判している。

 また、安倍首相を支持してきた櫻井よしこ氏が理事長を務めるシンクタンクも、学術会議を強く批判するメッセージを発信した。

 安倍前首相にとって学術会議は、自身の政策に水を差す、目障りな存在。人事を通じてその独立性にくさびを打ち込みたい思いは、ひとしおだったろう。

 10月7日付毎日新聞電子版に掲載された、2011~17年に学術会議会長を務めた大西隆・東京大名誉教授のインタビューによれば、安倍政権の介入は「2014年10月以降のある時点」から始まったようである。この時に、新たな会員候補の推薦について、官邸側から「(学術会議として)最終決定する前に候補者を説明してほしい」と要求された。2016年に、会員が70歳の定年を迎えて3つのポストが空いた際には、官邸の求めに応じ、1つのポストに2人の候補者を並べて候補者リストを提出したところ、2つについて差し替えを要求された。同会議側はこれに応じず、補充を断念。2017年の半数改選の時にも、選考状況の事前説明と、改選数より多めに候補者を出すことを、官邸から求められた、とのことだ。

 菅氏も安倍政権を支えてきた者として、安倍氏の「学術会議憎し」の思いは共有していただろう。だからこそ、“安倍人事”にそのままゴーサインを出したのではないか。

 ただ、2016年や2017年の出来事は、当時は報道されたり、社会で問題視されたりすることはなかった。そのために、もしかすると菅首相は、安倍前首相が仕掛けた“時限爆弾”の威力を見誤ったのかもしれない。

議論のすり替えでは終わらない

 今回は、排除された学者の1人がFacebookで事情を暴露。それを共産党機関紙「赤旗」が取り上げるや、複数の一般紙が1面で報じ、NHKや民放のニュースでも大きく扱い、菅政権の体質に対する疑問や批判も飛び交い始めた。野党議員も拒否の理由を説明するよう求めている。

 これに対し、対応の準備ができていなかった政府は、呪文のように「総合的、俯瞰(ふかん)的」という言葉を繰り返してやり過ごすしか策がなかったのだろう。

 この言葉の出典は、閣僚と有識者で構成される総合科学技術会議が2003年にまとめた意見書。そこにはこう書かれている。

<日本学術会議は、新しい学術研究の動向に柔軟に対応し、また、科学の観点から今日の社会的課題の解決に向けて提言したり、社会とのコミュニケーション活動を行うことが期待されていることに応えるため、総合的、俯瞰的な観点から活動することが求められている>

 ここでの「総合的、俯瞰的」の意味は、これに続く文章を読めばわかる。

〈人文・社会科学を含む総合的な視点〉

〈科学者コミュニティ総体を代表し、個別の学協会の利害から自立した科学者の組織とならねばならず〉

 要するに、学会や学派、学閥その他既存の「勢力図」に影響されず、高い専門性と広い視野をもって様々な提言を行う組織であることを求めたものだ。個々の会員が、あらゆるジャンルに精通したオールマイティであることを求めたわけではない。今回の6人拒否の理由に持ち出すのは、はなはだ不適当だ。

 しかも拒否された6人は、法学や歴史学、宗教学など人文・社会科学系の研究者ばかりだ。今回の人事がこのままであれば、こうしたジャンルで欠員が出ることになり、総合科学技術会議が「総合的」観点を求めたのとは矛盾するように思える。

 いずれにしても、破裂した“時限爆弾”によって上がった火の手は、「総合的、俯瞰的」の呪文を繰り返しても収まらない。学者や研究者は、たいてい粘り強く、追及される側にとっては、しつこい。予想外の展開に、菅首相はいささか困っているのかもしれない。

 ならば、人事を撤回するなり、6人を追加任命して事態の収拾を図ればよい。しかし、新政権がスタートしたばかりで、国会開会前に野党に譲歩するような弱腰の態度は見せられず、安倍人事を否定することもできない。そのために、“呪文”を繰り返して時間を稼ぎ、学術会議の組織見直しなど「行政改革」に話題をすり替えることで事態を乗り切ろうとしている。

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