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上昌広「絶望の医療 希望の医療」

欧米や韓国でも成立の尊厳死法、日本では議論すらタブー…絶望の終末期医療の実態

文=上昌広/特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長
欧米や韓国でも成立の尊厳死法、日本では議論すらタブー…絶望の終末期医療の実態の画像1
厚生労働省 HP」より

 7月23日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患った女性に対し、2人の医師が致死量の鎮静剤を投与し死亡させた嘱託殺人として逮捕され、公判が準備中だ。

 メディアは2人の医師の対応を批判し、有識者は「安楽死の議論の契機にすべきではない」と主張するが、私は、そもそも日本は安楽死の是非を議論できるレベルに到達していないと感じている。それは、日本では、終末期における患者の自己決定権が法的に保障されていないからだ。どういうことだろうか。本稿では、日本ではタブー視されている「死ぬ権利」について論じたい。

 終末期医療に限らず、患者の意向を尊重することに反対する人は少ない。確かに、厚生労働省も、この方向で体制整備を進めてきた。2007年、「終末期医療(現人生の最終段階における医療)の決定プロセスに関するガイドライン」を策定し、2017年8月には、樋口範雄・武蔵野大学教授を座長に「人生の最終段階における医療の普及・啓発の在り方に関する検討会」を立ち上げた。

 その目的について、前出のガイドラインの策定から約10年が経過しており、「高齢多死社会の進展に伴い、地域包括ケアシステムに対応したものとする必要がある」こと、および「英米諸国を中心として、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)の概念を踏まえた研究・取組が普及してきている」ことを挙げている。

 このように書くと、日本でも終末期医療体制の整備が着実に進んでいるように受け取られる方も多いだろう。ところが、そうではない。それは、日本と欧米ではACPの持つ意味が違うからだ。

 ACPとは、「人生の最終段階の医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと事前に繰り返し話し合うプロセス」(日本看護協会)と定義される。これは「リビング・ウィル」の普及とともに、1990年代前半から米国を中心に議論が進んだ概念だ。

 米国国立医学図書館データベース(PubMed)によれば、「アドバンス・ケア・プラニング」という単語をタイトルに含む論文は4,483報が報告されているが、大部分は欧米からの報告だ。特に多いのは米国で1,525報(34%)を占める。日本からの報告は、わずかに91報(2%)にすぎない。ACPについて、日本では議論が足りない。

ACPの法制化

 では、日本と欧米の違いはなんだろう。最大の差は、ACPの法制化の有無だ。米国をはじめ欧米の多くの国で、患者は自ら望まない治療を拒否する権利を法律で保障されている。終末期の患者の4人に1人は意志決定能力を失う。例えば、米国では、自らの希望を「事前指示書」の形で、意志決定の代理者に託すことができる。「事前指示書」とは、85年に米連邦政府が、各州が策定した終末期医療の関連法律を統合した「統一末期病者権利法」において規定された法的書類のことで、リビング・ウィルの一種だ。

 つまり、米国では、ACPを通じて定まったリビング・ウィルを「事前指示書」の形で提示すれば、医師は、その意向に応じる義務が生じる。家族が何と言おうが、「事前指示書」の内容に反することであれば、断固として拒否しなければならない。もし、違反すれば医師が刑事責任を問われる可能性がある。このような法的な枠組があることで、医師は患者の意向に沿っていれば、家族の意向と反することをしても免責される。これが、欧米における患者の自己決定権の尊重の仕組みだ。

 ところが、日本の体制は違う。厚労省が、ACPを推奨し、患者が「事前指示書」の形で自分の意志を表明しても、法的拘束力はない。ある厚労省関係者は「医師と患者の間の民民契約に過ぎない」と言う。この違いは日本と欧米の医療現場をまったく違うものにしてしまう。日本の終末期医療では、医師は、患者の意向よりも家族を重視しなければならなくなるからだ。患者が亡くなったあと、医師が対峙するのは家族だ。彼らが不満に感じれば、訴えられる。

 この結果、医師は家族の有無で対応を変えることとなる。このことは臨床研究でも実証されている。医療ガバナンス研究所は、メディウェル社と協力して、454人の医師を対象にアンケート調査を行い、家族の有無が主治医の人工透析、人工呼吸、外科手術など侵襲的な治療の選択に、どのような影響を与えるかを調べた。

 結果は、驚くべきものだった。家族がいない患者と比べ、家族がいる患者では、人工透析・人工呼吸・外科手術を選択する主治医が1.82倍、1.96倍、2.86倍多かった。外科手術のケースは、患者が侵襲的な措置を希望しないことを表明していたにもかかわらず、多くの医師は、その意向を無視した。訴訟を恐れた医師が、患者の意向とは無関係に侵襲的な治療を選択したのだ。これこそ、日本の終末期医療の現場だ。

 高齢化が進む先進国では、終末期医療は大きな問題だ。それは、感染症や早期胃がんの治療のようにエビデンスを有する標準治療を優先するというコンセンサスがないからだ。終末期医療の目標は、治癒や延命ではなく、患者の満足だ。治療法の選択には、患者の価値観や社会・家族環境、経済力が影響してくる。画一的な正解はない。試行錯誤の末、たどり着いたのが、患者に十分な情報を提供し、自分で決めてもらうことだ。そして、そのための仕組みが、ACP、事前指示書、尊厳死法の3点セットだ。

 ACPと事前指示書の意義はわかりやすく、日本でも反対する人はいない。問題は尊厳死法だ。この法律が存在しなければ、患者の自己決定権は保障されない。我々の研究が示したように、患者の権利は日常的に侵害される。

 日本がやるべきは尊厳死法の議論だ。どのような枠組をつくれば、患者の意向を最優先できるか、考えねばならない。

本質とかけ離れた議論

 ところが、厚労省は本質とかけ離れた議論に終始している。例えば、2018年11月にはACPの愛称を「人生会議」と発表し、2019年11月に、吉本興業の小藪千豊を使った啓発ポスターを作成した。このポスターには、酸素吸入を受けながら、ベッドに横たわる小藪の姿が映り、「『人生会議』しとこ」「命の危機が迫った時、想いは正しく伝わらない」などのコメントが添えられていた。ACPや事前指示書の啓蒙のレベルで留まり、自己決定権の尊重には触れなかった。「患者団体や障害者団体の反発を恐れたため」(前出の厚労省関係者)だが、「『がん=死』を連想させるデザイン」などどの批判が殺到し、このポスターはお蔵入りとなった。

 これなど、厚労官僚の質の低下を示すエピソードだ。前出の厚労省関係者は「かつては、優秀な法令キャリアが担当し、国会議員と連携して立法を目指しましたが、最近は医系技官が中心で、責任や権限が曖昧なガイドラインでお茶を濁しています。特に、今のメンバーはやる気がなく、このような失態を繰り返しています」と言う。

 やる気がないのは厚労省だけではない。民間で尊厳死を啓蒙する公益財団法人日本尊厳死協会も、状況は同じだ。そのホームページのトップに掲げているのは、「リビング・ウィルとは」というリンクで、尊厳死の法制化とは距離を置いている。ちなみに、この協会の代表理事は元厚労省医政局長の岩尾總一郞氏だ。現在の厚労省内の雰囲気など熟知しているのだろう。

 政治の世界も問題だらけだ。05年に発足した「尊厳死法制化を考える議員連盟」は、民主党時代の2012年には法案づくりに着手したが、障害者団体などの反対運動もあり、何度か法案提出の話が出るも、いずれも頓挫している。与党関係者は「小泉改革以降、医療に精通した族議員が減り、最近の二世議員やチルドレンでは、この手の難しい話は荷が重い」と言う。

患者の自己決定権が浸透する韓国

 実は、こんな体たらくを繰り返している先進国は、もはや日本くらいだ。欧米はもちろん、東アジアでも尊厳死法の成立が相次いでいる。台湾では、2000年に「ホスピス緩和医療法」が制定され、2016年1月には治療中止の対象を終末期以外にも拡大している。

 韓国も、18年2月に「延命医療決定法(尊厳死法)」が施行されている。それ以降、今年7月までに67万3,467人の韓国人が「事前延命医療意向書」を作成した。全国民の1.3%に相当する。そして、11万2,239人が尊厳死を選んだ。拒否した延命行為が確認された8万283人では、99.5%が心肺蘇生、85.9%が人工呼吸器、83.7%が血液透析、61.8%が抗がん剤投与、23.5%が昇圧剤、17.2%が輸血を拒否していた。

 尊厳死法施行後、韓国社会は急速に変化している。19年2月、ソウル新聞などが実施した世論調査では、81%が「韓国でも安楽死の許容が必要」と回答し、反対の11%を大きく上回った。安楽死を認める理由としては、52%が「死の選択は人間の権利」と回答し、「病気による苦痛を減らせるから」と回答した人(35%)を上回った。韓国メディアでは、「タブー視されてきた安楽死が議論の俎上に(時事ウィーク10月2日)」のような記事が増加している。

 韓国では、患者の自己決定権が市民に受け入れられつつある。時事ウィークの世論調査の結果を見れば、安楽死が解禁されるのも時間の問題だろう。冒頭にご紹介した安楽死の事件を受けて、「安楽死の議論の契機にすべきではない」と頬被りを決め込む日本とは対照的だ。

 日本人は、自分で死に方を決めることすらできない。まるで子どもだ。かつて、マッカーサーは「日本人は12歳」と言った。状況は今も変わらない。日本の将来は暗い。

(文=上昌広/特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長)

上昌広/特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長

上昌広/特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長

1993年東京大学医学部卒。1999年同大学院修了。医学博士。虎の門病院、国立がんセンターにて造血器悪性腫瘍の臨床および研究に従事。2005年より東京大学医科学研究所探索医療ヒューマンネットワークシステム(現・先端医療社会コミュニケーションシステム)を主宰し医療ガバナンスを研究。 2016年より特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長。
医療ガバナンス研究所

Twitter:@KamiMasahiro

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