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母親の認知症を漫談にしたコラアゲンはいごうまん、最大のコツは「笑顔で肯定すること」

構成=安倍川モチ子/フリーライター
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コラアゲンはいごうまん

 雨上がり決死隊・蛍原徹の元相方で、現在はピンでノンフィクションスタンダップコメディアンとして活動しているコラアゲンはいごうまん。その芸風はシンプルで、自身が調査して体験したエピソードや出会いを舞台で披露するというものだ。たとえば、ヤクザ事務所に潜入してみたり、SMの女王様の奴隷になってみたり、刺青を彫る彫師に密着してみたり。毎回、体当たりでネタをつくっている。

 そんな彼が今一番気にしているのが、4年前から認知症になってしまった母親のこと。認知症と聞くと「大変そう」と思いがちだが、コラアゲンはいごうまんは「そうでもない」と話す。角度を変えることで、母親とのやり取りが漫才のようにおもしろくなったのだそう。そして、その体験を「オカンとボクと時々認知症」という漫談として完成させた。

 そこで今回は、親の介護問題がリアルになりつつある世代に向けて、コラアゲンはいごうまんが実践している認知症への対応法などについてうかがった。

毎月10万円の仕送りも、会うとケンカばかり

――認知症の話に入る前に、ご家族の関係性を教えてください。

コラアゲンはいごうまん(以下、コラアゲン) 僕は京都府出身で、オトン、オカン、兄の4人家族でした。オトンはトラック運転手をしていたのですが、いつしか「兄弟そろって京大に入れる!」と豪語するようになりました。よく言えば「教育熱心」、悪く言えば「恐怖政治」です。何かと兄弟を比べるオトンと、それに従うオカン、成績が悪いと有無を言わさずけなされる僕たち兄弟。家族仲は最悪でしたね。

 でも、今考えると、オカンはただオトンに従っていただけではなかったのではないかと思うんです。実は、僕と兄はそろって幼い頃に腎炎にかかっているんです。それでオカンは、「将来、体を使う仕事よりも頭を使う仕事に就かせた方がええ」と思っていたのでしょうね。希望通り、2人とも中高一貫の進学校に入学できました。でも、出来のいい兄に対して僕は落ちこぼれ。もちろん京大に行けるわけもなく、お笑い芸人になろうと吉本興業を目指すんですが、このときにオカンが何とも地に足の着いた堅実なアドバイスをくれたんです。

「あんたは、昔からお笑いがホンマに好きやったもんな。吉本に願書出してもええと思うよ。でも、お父さんの手前、一応大学受験もしとき。保険みたいなもんや」

――お父様の反応はどうだったんですか?

コラアゲン オトンの方は、吉本へ行くことを許したわけではないけど、「アカンかったら1、2年で帰ってきて、大学に入り直したらええ」という感じでした。そして、吉本に入って鳴かず飛ばずのまま10年以上を大阪で過ごすんですが、ずっとオカンが毎月10万円を仕送りしてくれていました。エイベックスの株で稼いでいたみたいですわ。

 仕事はなくても(仕送りの)金があるなんて、売れない若手にしたら恵まれている環境です。でも、この頃は「仕送りしてもらって当たり前」という気持ちになっていたので、年に何回か実家に帰っても、特にオカンが喜ぶことはせず。むしろ、顔を合わすとケンカばかりでした。

 オカンはいつまでも売れない僕のことが心配なんで、いろいろとちょっかいを出してくるんです。ただ、ありがたかったのは、知り合いを集めて舞台を用意してくれたこと。信じられないかもしれないけど、オカンプレゼンツの興行ですよ。2003年にオトンが亡くなったことで箍が外れたのかもしれませんが、マネージャーのように働いてくれるんです。オカンのことをうっとうしいと思いながらも、仕事を持ってきてくれるのは本当にありがたかったですね。

――そんな元気でしっかり者のお母様が認知症だと診断されたのは、いつ頃ですか?

コラアゲン 2016年頃です。もしかしたら、もっと前から症状は出ていたのかもしれません。京都人の美学みたいなものに「いけず」があります。オカンも奥歯に物が挟まったような遠回しな物言いをする人だったんですが、この頃から急に素直に、悪く言えばズケズケとモノを言うようになったんです。その餌食になったのが、結婚前の僕の嫁でした。関西でライブをしたときに彼女を紹介したんですが、本人を目の前にして「性格悪そうやなー」と。こんなん、大阪の人でも、ちゃんと関係性ができてないと言えません。後で聞いたら、一緒にライブに来ていた友人が適当に言ったことだったらしいのですが、それを真に受けてスルッと言ってしまったんです。

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――その後、お母様と奥さんの仲はどうでしたか?

コラアゲン 嫁の気を悪くさせたかなと思ったんですが、全然そんなことはなく、むしろおもしろがってくれました。「本音を言うてるわけやから、信用できる人やわ」と。それからは、ひとり暮らしのオカンを心配して嫁がひとりで様子を見に行くようになり、そのうち「性格悪そうやと思ってたけど、私が間違えてたわ」と仲良くなっていきました。

一本の映画との出会いが転機に

――介護と真剣に向き合うようになったきっかけは何ですか?

コラアゲン それは『徘徊』という映画に出会ったことですね。この頃、僕はドキュメンタリー映画を紹介する仕事をしていて、その中で『徘徊』を取り上げたんです。認知症を患ったお母さんの介護をつきっきりでやった酒井章子さんという方が主役なんですが、朝昼晩関係なく、お母さんの徘徊に徹底的に付き合うんですよ。それも、10年以上も。

 その映画を撮った田中幸夫監督にお願いして、大阪のライブのときに酒井さんを紹介してもらいました。そこで、認知症になった親との関わり方、モヤモヤや不安といった、こちら側が一番ケアしてほしいところをいろいろ教えてもらえたんです。「考え方をズラすこと」「どうしたら楽しめるのかを考えること」などいろいろあるんですが、その中で一番なるほどな~と思ったのが「否定しないこと」です。

 認知症の親と一生懸命向き合おうとしても、話がかみ合わなかったり嫌みを言われたりして、正直イライラするし、疲れるだけ……。その結果、険悪なムードになって、相手が怒られた気分になって萎縮してしまう。認知症の人には楽しく明るく接することが基本と言われていますから、この対応は絶対にやってはいけません。

――じゃあ、どうしたらいいのでしょう?

コラアゲン 相手が間違ったことを言ったとしても、いちいち真正面から向き合わずに、笑顔肯定するんです。本当は木曜日だけど「今日は水曜日」と言うのなら、それでいいんです。誰にも迷惑をかけないんですから、「月火水水水土日」でいいんです。それに、こちらが笑顔でうなずくだけで、相手が嫌な気持ちにならないし、こちらの心の負担もグッと軽くなるんです。

(構成=安倍川モチ子/フリーライター)

後編へ続く

安倍川モチ子/フリーライター

安倍川モチ子/フリーライター

東京在住のお笑いスキー、歴史スキー、ダンススキーな(京都の女子大の歴史学科卒、元ダンス部部長)ライターです。広告・プロモーションのプロデュース及び企画制作をしていた会社で、編集経験あり(3年弱)のため、たまに編集もします。
執筆道とりこ

Twitter:@mochico_abekawa

Instagram:@abekawa_mochico

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