“稀有な投手”藤川球児、虎ファンの胸に刻まれた2つのエピソード…意外な素顔もの画像1
藤川球児のインスタグラムより

 阪神タイガースの抑えの切り札で2005年のリーグ優勝に貢献、「火の玉ストレート」と呼ばれた速球を武器に38試合連続無失点の日本記録やシーズンセーブ数46のセ・リーグ記録などを残した右腕、藤川球児(40)の引退セレモニーが11月10日、甲子園球場で行われた。

 この日は巨人との最終戦。タイガースは今季、巨人以外の4球団に勝ち越しながら巨人には大きく負け越し2位にとどまった。この日も0-4で9回表を迎える。ここで矢野耀大監督は9月1日に引退を発表していた藤川を登場させた。代打攻勢の巨人に対してまず坂本勇人を148キロの直球に空振り三振、中島宏之のバットも空を切らせて三振。3人目の重信慎之介をセカンドフライに打ち取った。12球すべてが看板の剛速球だった。

 この日の最速記録は149キロ出ていた。本人の最速記録は153キロだが、40歳でこれだけの速球を投げられたのは「マサカリ投法」で有名だったロッテのエース村田兆治くらいではないか。「まだやれるぞ」という印象をファンに残しての引退だった。

 高知県出身。父親が草野球でノーヒット・ノーランを記録した翌日に生まれて「球児」と名付けられた。高知商業高校では兄とバッテリーを組んだ。1998年にドラフト1位で阪神に入団したが、数年間は鳴かず飛ばず、解雇に慄(おのの)く毎日だった。ところが先発から抑えに回って力を発揮しだす。阪急ブレーブスの剛速球投手だった山口高志二軍コーチの指導で、腕を高い位置から振り下ろすなどフォームを改造すると球速が格段にアップした。 

 打者の胸元をえぐるようにホップする速球は1975年の日本シリーズで広島カープの強打者、山本浩二や衣笠祥雄をきりきり舞いさせ、MVP(最優秀選手)に選ばれた山口の短い全盛時代を思い出させた。

 藤川は岡田彰布監督2期目の2005年には久保田智之、ジェフ・ウィリアムスとともに抑えの「JFK」の切り札としてリーグ優勝に貢献した。12年に大リーグに移籍してシカゴ・カブスとテキサス・レンジャーズで3シーズン投げた。しかしレンジャーズを自由契約とされ、「四国独立リーグ」を経て16年秋にタイガースに戻った。同世代には西武の松坂大輔とソフトバンクの和田毅らがいる。昨年は全盛期のような剛速球が復活し16セーブを記録したが、今年は腕の不調で2セーブ、一軍登録を抹消されていた。

「火の玉」の由来

 藤川といえば思い出されることがある。05年4月の対巨人戦。藤川は二死満塁で迎えた清原和博に対して直球の後、最後にフォークボールで三振に仕留めた。直球に絞っていた清原は「ケツの穴が小さい」などと下品な言葉で藤川を挑発した。

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