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“稀有な投手”藤川球児、虎ファンの胸に刻まれた2つのエピソード…意外な素顔も

文=粟野仁雄/ジャーナリスト
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 だが、このシーズンの6月に直球で三振に打ち取られると、清原は「完敗です。振ったバットの上をボールが通ったことはなかった」などと脱帽。翌年、オリックスに移籍してからも清原は「唸っとった。火の玉みたいや」と絶賛した。これが藤川の速球のニックネーム「火の玉ストレート」となった。

 引退セレモニーでは、その清原が甲子園球場の大型スクリーンに登場した。「サインを出したのは矢野監督(当時は捕手)やから。ごめん」と話しファンを笑わせた。

 藤川といえば、もうひとつファンが覚えているのは06年7月のオールスター第1戦だ。神宮球場のマウンドでパ・リーグの主砲、カブレラ(西武)に対し、腕を突き出してボールの握りを見せ、直球だけを投げ続けてカブレラと小笠原道大(日本ハム)を連続三振に仕留め、セ・リーグファンを熱狂させた。

引き際の美学

 いつも天真爛漫、朗らかに見えても藤川は負けると夜も寝られないほどに悩み、反省する男だったという。短期間だったが捕手としてタイガースに在籍した城島健司(元ソフトバンク)も、この日のスクリーンに登場。寝ずに悩む藤川を心配したが「城島先輩、一日くらい寝なくても人間大丈夫ですよ」と言われたというエピソードを披露し、藤川が真摯に野球に取り組む姿勢を称賛した。筆者はあるオールスター戦でろくに試合を見ずにベンチでやたらにはしゃいでいた藤川の姿をテレビで見て「お祭りの球宴でももっとまじめにやれ」と怒ったことがあったが、意外だった。

「監督が使える駒になる」を重視した藤川はチームのために先発、セーブ、中継ぎをこなしていったため、記録的には損もした。名球界入りの条件だった250セーブまで日米通算であと5つだったが潔く引いた。記録にこだわれば他球団に移るなどの選択肢もあっただろうが、引き際の悪い選手になるよりずっとよかった。

 まさに「記録より記憶に残る男」のための、最近にない素晴らしい引退セレモニーといっていい。最後の場内一周も昔の長嶋茂雄のような涙、涙ではなく笑顔。「幸せな男だ」と感じた。藤川は「僕の投げる火の玉ストレートにはチームの思い、タイガースファンの思いが詰まっています。打たれるはずがありません」とファンに感謝した。優勝時にもバッテリーを組んでいた矢野監督に一球を投じる演出もあった。

 だが、心に残るセレモニーも一つのプロ野球球団で野球人生を全うしたからこそであろう。藤川は大リーグ、四国独立リーグと「寄り道」したものの基本的にタイガース一筋で野球生活を終えた。1993年にFA(フリーエージェント)制度が導入されてから、スター選手が一つの球団にとどまることが珍しくなってしまった今、改めて一つのプロ野球球団にとどまることの魅力を感じた。

(文=粟野仁雄/ジャーナリスト)

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