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谷川浩司、羽生善治、藤井聡太…将棋界の天才3人に“意外な共通点”があった

写真・文=粟野仁雄/ジャーナリスト
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谷川浩司九段

 谷川浩司、羽生善治藤井聡太――。将棋界の近年の天才棋士3人。その経歴を見ると、なぜか共通点がある。

 まず谷川浩司九段(58)。十七世永世名人資格者である(基本的に引退後に名乗る)。ここでは詳細を省くが、数多くの「最年少記録」を打ち立てた藤井聡太二冠(18)が今後、目指すなかでもっとも難しい記録は「最年少名人」であろう。記録保持者は谷川で、21歳2カ月だ。ちなみに「レジェンド羽生」ですら名人位獲得は23歳8カ月である。

 さて、この谷川が1983年に名人位を取った時の相手が「ヒフミン」こと加藤一二三九段(80)である。とはいえ、当時は中原誠十六世名人(引退)の全盛時代だった。以前、谷川を取材した時、「中原さん対策ばかり考えていたので、中原さんが負けて加藤さんが名人になったのでびっくりしました」と語っていた。

 若き谷川は上がったばかりのA級リーグでトップになり、挑戦権を得て加藤を4勝2敗で破った。加藤にとっては「三日天下」だった。「神武以来(じんむこのかた)の天才」といわれ、多くのタイトルを取りながら名人は2度挑戦したが届かず、3度目の挑戦だった。

 前年の82年に持将棋(双方の玉が敵陣に入玉し、詰ませられなくなる引き分け)1局、千日手(同じ局面が繰り返される千日手が4回現れると引き分け)2局を含む大激戦で七番勝負を制して中原名人を破り、42歳で名人に輝いた時は対局室から電話に走って妻に「勝った、勝った」と叫んだいう逸話がある。その後、加藤は名人に復位することはなく、プロデビュー戦の藤井に敗れ、その後成績が振るわず3年前に77歳で引退した。

 そんな加藤を1年で名人から引きずりおろした谷川。「名人位を1年預からせていただきます」という礼儀正しく控えめな言葉が世の共感を呼んだ。1年どころか、その後、「光速流」と呼ばれる鋭い寄せを武器に名人通算5期、竜王4期、王位6期など通算タイトル27期を達成、日本将棋連盟会長も務めた。B2組に降級したとはいえ、いまなお、第一線で奮戦している。

羽生善治

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羽生善治九段

 続いて羽生善治九段(50)。羽生が名人になったのは94年のこと。相手は米長邦雄永世棋聖である。米長は前年に中原誠名人を4-0で破り、初めて念願の名人位についた。49歳での名人獲得は史上最高齢で話題になった。だが50歳で迎えた防衛戦では彗星のように現れた羽生に2勝4敗で苦杯を喫し、名人タイトルの保持は1年で終わった。

 名人を羽生に奪われて間もない頃、筆者は千葉市で彼の講演を聴いたことがある。直前に行われた東京都知事選を話題にしていたが、なぜ盤石のはずの元官僚の候補にタレントの青島幸男が勝ったのかを中心にした実におもしろい内容だった。その時「私は必ず羽生君を破って名人に戻ります」と豪語していたが、果たせなかった。

 米長は谷川のような「控えめ」なキャラではない。「兄貴たちは馬鹿だから東大に行った。私は賢かったから棋士になった」。一度は言ってみたいような台詞も飛び出した。プロ棋士として初めてAI(人工知能)のボンクラーズと対戦して敗れた。女性にももて、浮名を流すなど話題豊富だった二枚目棋士は連盟会長も務めたが、2012年12月、69歳でがんに倒れた。

 一方、羽生はその後、2度の復活を含めて合計9期も名人位に輝いた。1996年には最後の一冠(王将)を守っていた谷川を破って、当時の全七冠を独占する偉業を果たした。永世七冠も達成、将棋界初の国民栄誉賞も手にした。タイトル通算99期と断トツの記録(2位は大山康晴十五世名人の80期)を残している。今年も通算100期を目指して竜王戦タイトルで豊島竜王に挑戦するなど、トップ級で活躍している。

藤井聡太

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藤井聡太二冠

 さて、若武者・藤井聡太(18)。今年7月、渡辺明棋聖(現三冠 36)を破って棋聖位を獲得、史上最年少タイトルになった。8月には木村一基王位(47)から王位のタイトル奪って「18歳二冠」という、羽生もなしえなかった大記録を打ち立てたことは記憶に新しい。

 敗れた木村は昨年、豊島将之王位(30)から王位を奪った。挑戦者決定戦で羽生を破り、本番では豊島とは4勝3敗の大激戦を制したのだ。その時46歳。タイトル挑戦7度目でやっと手にした栄冠に、本人は感激のあまりか直後のインタビューで「もう縁がないものと思っていた」。家族への思いを聞かれ、「家に帰ってから言います」と涙を拭った。

 木村は同じ王位戦で2016年に羽生王位に挑戦している。この時、3勝2敗まで羽生を追い込んだが、その後2連敗して届かなかった悔しい思いがある。あと1局でタイトルという大一番を8回連続で落とす「勝負弱さ」がファンに惜しまれていた。

 しかし、藤井には七番勝負で4タテを食らって1勝もできずに失冠してしまう。福岡で行われた第4局に筆者も駆けつけたが、敗れた木村は「お恥ずかしい」などと言葉少なに語っていた。相手に攻めさせ、粘って粘って受け続けて反撃の機を窺う棋風から「千駄ヶ谷の受け師」と呼ばれた。東京都・千駄ヶ谷には東京・将棋会館がある。

 受けの将棋といえば大山康晴十五世名人を思い出すが、大山の棋風とはやや違う印象だ。第3局が有馬温泉(神戸市)で行われた際、対局前日の会見で筆者が「相手を罠にはめる感じの印象ですが」とむけると「罠にはめているようなつもりはないんですけどね」などと笑顔で答えてくれた。その受け答えから好人物ぶりを感じた。木村は01年には年間60勝と勝率8割の同時達成をしている。これは羽生と藤井しか持っていない記録である。

 そう、谷川、羽生、藤井、3人の天才に共通するのは、「不惑の歳」を超えてやっとタイトルを手にした中年棋士を「三日天下」にしてしまったことである。この「冷厳さ」こそが天才棋士の宿命か。一方、「三日天下」にされてしまった3人。米長や加藤の戦いぶりは見ることはもうできないが、昨年、9年ぶりにA級に復帰した「百折不撓」、47歳の木村には再度、タイトル戦に戻りファンを沸かせてほしい。

粟野仁雄/ジャーナリスト

粟野仁雄/ジャーナリスト

1956年生まれ。兵庫県西宮市出身。大阪大学文学部西洋史学科卒業。ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)を経て、82年から2001年まで共同通信社記者。翌年からフリーランスとなる。社会問題を中心に週刊誌、月刊誌などに執筆。
『サハリンに残されて−領土交渉の谷間に棄てられた残留日本人』『瓦礫の中の群像−阪神大震災 故郷を駆けた記者と被災者の声』『ナホトカ号重油事故−福井県三国の人々とボランティア』『あの日、東海村でなにが起こったか』『そして、遺されたもの−哀悼 尼崎脱線事故』『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』『アスベスト禍−国家的不作為のツケ』『「この人、痴漢!」と言われたら』『検察に、殺される』など著書多数。神戸市在住。

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