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映画『無頼』公開記念インタビュー

井筒和幸監督が問題作『無頼』の舞台裏と映画人生を語った!「抗った後どう生きるか。それが生涯のテーマ」

取材・文=長野辰次
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映画『無頼』のワンシーン
井藤の妻・佳奈を演じたのは柳ゆり菜。オーディションで選ばれた。

井筒監督がいちばん好きな女優

――主人公たちは他の暴力団との抗争中にもかかわらず、若尾文子主演作『赤い天使』(66)などの映画談義に花を咲かせる。他にも『ゴッドファーザー』(72)や『仁義なき戦い 代理戦争』(73)なども話題に。『無頼』はアウトロー視点の昭和史であると同時に、昭和の映画史も振り返っている。

井筒 自分が観てきた映画の歴史でもあるわけです。趣味で入れています(笑)。僕がね、日本の女優でいちばん好きな女優は若尾文子さん。最高の女優です。二がなくて、三もなくて、その次くらいが沢尻エリカだな。『赤い天使』はテーマがいいんだ。日中戦争時代の最前線で働く従軍看護婦が主人公なんだけど、エロくてドキドキするよ。

――若尾文子扮する看護婦と一夜を共にした兵士や軍医たちは、戦場で次々と散っていくことに。

井筒 そうそう。おそろしい話だよ。増村(保造)監督、よく日中戦争が題材で、あんな映画が撮れたなぁと感心しますよ。テレビじゃ放送してないんじゃないか。僕は『赤い天使』を何度も観ました。そんな僕が大好きな映画を、抗争中にもかかわらず主人公の組員たちはリバイバル上映中の映画館へ観にいく。なんて牧歌的な時代だったんだろう。

――劇中劇として深作欣二監督作『北陸代理戦争』(77)の名シーンも再現しています。

井筒 『北陸代理戦争』も大好きです。それまでの任侠映画はきれいごとばっかりで面白いとは思えなかったけど、生きた人間の本音丸出しで描いた「仁義なき戦い」シリーズも本当に面白かった。任侠モノは全共闘世代にうけたけど、少し下の僕らは、『仁義なき戦い』や『北陸代理戦争』を観て、笑いころげたよ。『北陸代理戦争』のオマージュシーンを入れたのは、深作欣二監督、脚本家の高田宏治さん、松方弘樹さん、西村晃さん、野川由美子さんらへの感謝の気持ちです。あのシーンは、僕じゃなくて助監督たちに撮らせたんだけどね。僕の青春をね、熱くしてくれた人たちへのオマージュのつもりですわ。

――こうしてお話を聞いていると、井筒監督なりの『仁義なき戦い』、もしくは『ゴッドファーザー』を撮りたかったんだなということが感じられます。

井筒 『ゴッドファーザー』や『仁義なき戦い』など70年代のニューシネマが、青春時代の僕の背中を押してくれたわけですよ。僕の物づくりの原動力となったんです。『ゴッドファーザー』はその骨頂だよ。『ゴッドファーザー』を初めて観たとき、それまで観てたアメリカ映画とは、同じ映画とは思えなかった。これが映画なのかと。僕には人生哲学書のように思えたんだよ。『ゴッドファーザー』が登場して、ハリウッドも大きく変わったでしょ。日本も高度成長期が終わり、新しい時代の節目だった。そこに新しい波が来た。びっくり、びっくりの連続だ。当時のコッポラ監督が、インタビューで素敵なことを語ってたんだよね。「これは米国の資本主義を描いたんだ」と。僕はその言葉にすごく納得した。いつか、自分もこんな映画を撮ってみたいと思ったね。

映画『無頼』のワンシーン
井藤(松本利夫)の出所シーンは、現場にいたキャスト全員が自然と涙ぐんだそうだ。

サバイバルの時代だった90年代

――裏社会でのし上がった『無頼』の主人公たちも、金融にも関わるようになる。主人公は「そこの家の便所がきれいなら、貸していい」とか言って、経済ヤクザとして稼業に励んでいく。

井筒 お金を貸すことが、資本主義でしょ。貸したお金が、ただ回っているだけのこと。銀行の元締めである日本銀行なんて、ヤクザの親分みたいなもんです(笑)。実際にお金がなくても、どんどん刷って外に出す。それが万年筆マネー。暴対法が施行され、ヤクザたちは生き残っていくために金融や株や不動産のヤクザになっていった。今回も、銀行についてもいろいろ調べました。政治家も新興宗教団体も、み~んなお金、カネで動いてるわけですよ。

――ここで井筒監督自身の昭和・平成史も振り返ってもらえればと思います。

井筒 面白かったなぁ、昭和は。お金がなくても。バブルが弾けて、平成になり、さぁどうやって何を撮っていくかと思案するのが90年代。第二の人生をどうやって歩んでいくかを考える中で、新しい映画の時代を迎え、『パッチギ!』や『黄金を抱いて翔べ』などを撮ることができた。

――ディレクターズカンパニーで制作した時代劇大作『東方見聞録』(93年ビデオ発売)は劇場未公開となり、大変だったのではないでしょうか。

井筒 あれは悲惨だった……。

――撮影現場で出演者が亡くなり、井筒監督は個人で賠償金を払い続けた。

井筒 ディレクターズカンパニーが潰れてしまったから、個人で支払うしかなかった。弁護士さんにも相談したけど、「誠意を示すしかないでしょ」と言われて自分が払うことにしたんです。誰かが払わないといけなかった。そうじゃないと、残された遺族は堪らないでしょう。

――ネット上では遺族への補償金3000万円以上、と出ています。

井筒 3000万円は保険会社から支払われた金額。それじゃとても足りないから、残りは僕が払い続けました。『黄金を抱いて翔べ』を撮る前年の2011年に完済しました。だから、それからはまた、自分が撮りたいと思うものを撮ろうと思った。僕くらいじゃないのかな、自分の好きなものだけ撮り続けてきたのは。

――角川映画『みゆき』(83)も撮りたい作品だった?

井筒 あれは、「メジャーなら何でも撮って名を売ってやろう」と思った初期の作品だからね。それでも、批評家から叩かれたよ。「井筒は、角川映画に魂を売った」とか書かれた。「裏切られた」という評論家もいた。いつ約束したんだよと(笑)。まぁ、自分が思ってもないことを書かれると、面白いよ。『フラガール』(06)も、最初は僕が撮ることになっていたんだよ。いろいろ調べたんだけど、炭鉱の歴史はきれいごとだけでは描けないから、あれはイチ抜けさせてもらいました。やっぱり、自分が撮りたいと思ったものじゃないと撮れないよ。

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