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丸の内の三菱村がTOBで転売屋に乗っ取られる?日本に敵対的企業買収がなじまないワケ

文=菊地浩之
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東京駅丸の内の様子。現在、このあたりの不動産は三菱地所のものだが、終戦後しばらくは陽和不動産、開東不動産という会社が所有していた。(写真:Getty Imagesより)

戦後のドサクサのなかで、丸の内一帯を所有する三菱系の会社を乗っ取ろうとした豪勢な話

 しかし、日本における過去の企業買収がみんなそうだったかというと、そんなことはない(TOBではない、株式市場での通常売買の話だが)。特に戦後の混乱期はひどかった。

 終戦後の日本は、1年で物価が2倍にも3倍にもなるハイパーインフレのただなかにあり、商店主などが「俄(にわか)成金」になった。たとえばである。印刷業者が100万円分の用紙を購入して、1年寝かせて闇市(やみいち/正規でない販売ルート)で販売すれば、200万円になるのである。

 そこに目を付けて、銀座の商店主を集めて企業買収を試みた者がいた。その男は藤綱久二郎(ふじつな・きゅうじろう)という。藤綱はなんと、丸の内一帯の不動産を所有する三菱の会社を乗っ取ろうとしたのだ。

 現在、丸の内一帯の不動産は三菱地所が所有しているが、終戦直後は陽和不動産、開東(かいとう)不動産という耳慣れない会社が持っていた。どういうことかというと、戦前、丸の内一帯の土地は、三菱本社という三菱財閥の持株会社が所有していた。ところが、戦後の財閥解体で三菱本社は解散させられる。そこで三菱グループは、不動産会社を新設して、所有する不動産をその会社に移転した。ところが当時は規制が厳しく、新設する会社の資本金はかなり低めの上限が決められていた。そこで三菱グループは、やむなく新設会社を2社に分割して不動産を現物供与した。それが、陽和不動産、開東不動産というわけである(この社名は、三菱財閥の主・岩崎家別荘の名前から付けられた)。

 資本金が少なく、莫大な含み益を持つ不動産を所有している会社。乗っ取り屋から見れば、こんなおいしい物件はない。1952年、藤綱は銀座の商店主を動員して、35%もの株式を買い占めた。

 藤綱はもともと証券取引所の警備員をやっていた男で、不動産経営に興味があるわけではない。目的は転売に違いない。三菱グループは慌てに慌て、長老たちが対策に乗り出し、三菱銀行が三菱グループ各社に融資して、そのカネで藤綱の持つ株式を高値で買い取った。その後、三菱地所に陽和不動産、開東不動産を吸収合併させて、三菱地所は「丸の内の大家サン」と呼ばれるようになったのである。

乗っ取り屋による企業買収が成立してしまった悲劇

 一方、高値で買い戻しを狙った乗っ取り屋も少なくなかった。

 悲劇なのは、そんな乗っ取り屋の企業買収が成功してしまった場合である。

 1951年、大阪製鎖(せいさ)製造という上場企業が株式買い占めに遭い、買い占めが成功してしまったのだ。

 乗っ取りグループは早速経営陣を追い出して、自らが社長以下、専務、常務のイスに座ったのだが、そんな連中にメーカーを経営していく能力なんてあるわけがない(ないから、乗っ取り屋をやってるんだ)。大阪製鎖製造はたちまち経営不振に陥り、工場を他メーカーに売却して売り上げを計上。当然そんな会社は金融機関や取引先から見放され、3年後には不渡り手形を出して銀行主導で再建が進められ、結局、1956年に神戸製鋼所に事実上売却された。

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