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三菱銀行出身者しか頭取にしてはならぬ!半沢頭取に沸く三菱UFJ銀行の“鉄の不文律”

文=菊地浩之
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大正~昭和時代の銀行家・加藤武男。大正8年、三菱銀行の発足とともに常務取締役に、昭和18年には頭取に就任し、戦後は三菱財閥の実力者として活躍した。(画像はWikipediaより)

三菱銀行の頭取の甥が日銀総裁へ…民間銀行から日銀総裁も珍しくなかった過去の日本

 さて、三菱グループには有力者の子弟が多いといわれる。

 戦時中に三菱銀行の頭取を務めた加藤武男(かとう・たけお)は、戦後の三菱グループ再結集を支えた影の功労者で、戦後の三菱グループでは絶大な影響力を持っていた。その5代後の頭取・宇佐美洵(うさみ・まこと)は、加藤の妻の甥にあたる。

 加藤の妻は池田成彬(いけだ・せいひん)の妹で、池田に人物を見込まれて、妹との結婚を要請されたそうだ。この池田がこれまたすごい人物で、下記を歴任している。

・三井銀行筆頭常務(頭取は三井さんなので、三井銀行の事実上のトップ)
・三井合名会社筆頭常務理事(三井財閥の事実上のトップ)
・日本銀行総裁(14代)
・大蔵大臣兼商工大臣

 宇佐美洵は池田の姉の子に当たり、三菱銀行頭取から日本銀行総裁(21代)に転出した。今でこそ、民間の銀行から日本銀行総裁への転出人事は滅多にないが、昔の日本は、結構人材の流動性が高かったのだ。

 池田成彬は三井合名会社常務理事だった中上川彦次郎(なかみがわ・ひこじろう/福沢諭吉の甥)の娘婿で、慶応義塾の本流ともいえる人物である。加藤武男、宇佐美洵も慶応卒なのだが、宇佐美退任後、「三菱銀行は東京大学卒でなければ頭取になれない」といわれるようになった。

三菱銀行頭取の従兄弟が三菱商事社長で、妻は岩崎家当主の従姉妹で、三菱重工社長の妻も従姉妹

 宇佐美洵は優秀な上に三菱グループ長老の甥なので、若い頃から将来の頭取候補と目され、長期政権は間違いなしと思われた。ところが、3年ちょっとで日本銀行総裁に転出してしまう。急遽、副頭取の田実渉(たじつ・わたる)が頭取に昇進した。

 田実の父は三菱の顧問弁護士を務めており、母方の従兄弟・荘清彦(しょう・きよひこ)が当時三菱商事の社長を務めていた。しかも田実の妻は、当時の岩崎家の当主・岩崎彦弥太(いわさき・ひこやた)の従姉妹で、三菱重工業社長・牧田与一郎(まきた・よいちろう)の妻も従姉妹だった。

 三菱銀行・三菱商事・三菱重工業のトップが親戚なんだから、何をするにも話が早い。田実が頭取を務めている頃が、三菱グループの最盛期といっていいだろう(ちなみに荘清彦の姉の夫が、加藤武男の後任頭取・高木健吉である。つまりは、田実も頭取の義理の従兄弟ということになる)。

 田実の8代後の頭取・畔柳信雄(くろやなぎ・のぶお)は、田実が頭取在任中に入行したのだが、父親(第一生命保険役員)が田実の小学校の同級生なのだ。以下は勝手な想像なのだが、まぁまぁ珍しい名字だから、「あぁ、畔柳クンのお子サンかぁ」ということになって、配属先の支店長にも「ボクの小学校の同級生のお子サンなんだよ」と耳打ちぐらいするだろう。支店長サンとしては無碍(むげ)には扱えないだろうねぇ。

長期政権の弊害を見て、「在任4年」の不文律をきっちり守る“組織の三菱”の真骨頂

 田実渉の次の中村俊男(なかむら・としお)、続く山田春(やまだ・はじめ)は共に7年以上頭取に在任しており、いわゆる長期政権である。これには三菱グループ人事が関係していたという噂だ。

 先に紹介した三菱金曜会世話人代表。中村はこれになりたかったのだが、それには現役として会長に留まっていなければならない。そこで、山田に頭取を辞任しないように釘を刺していたというのだ。中村・山田が長期政権を敷いた結果、人事が滞留してしまったという。

 後任の伊夫伎一雄(いぶき・かずお)は人望があったのだが、長期政権の悪影響を身近に感じていたためか、4年でスパッと辞めてしまったという。

 以来、三菱銀行では頭取の任期は原則として4年というのが不文律になっているようだ。その不文律をキッチリ守っていくところが、「組織の三菱」の真骨頂なのだろう(伊夫伎の後任・若井恒雄は東京銀行との合併交渉で5年以上在任してしまったらしい)。

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